沖縄不動産王・三浦弘人氏
 社会問題視されることが多い米軍基地だが、実は投資先として高い可能性を秘めている。米軍基地投資で成功した「沖縄不動産王」を直撃した!

◆元薄毛相談員→沖縄不動産王の軌跡
 東京で生まれ育ちながらも、まったく土地勘のなかった沖縄で、コネも投資経験もないゼロの状態から、総資産額16億円、年間家賃収入8600万円まで上り詰めた大家がいる。沖縄在住の不動産投資家である三浦弘人氏だ。彼の資産の半数以上を占めるのが米軍基地として使用されている「軍用地」。しかし、今でこそ日本有数の軍用地投資家となった三浦氏だが、「沖縄移住も不動産投資を始めたのもまったくの偶然だった」と話す。まずは彼の半生を振り返る。

《沖縄不動産王の成功ストーリー》
0歳 ’66年に東京都江戸川区で生まれる
18歳 高校卒業後、大手百貨店に就職。主に食料品を担当する
19歳 半導体メーカーに転職。雑用をこなしながら大型案件の受注に成功。しかし、経営陣からは正当な評価を受けることができず、2年ほどで退社することに
21歳 友人の紹介で始めたキャバクラ店員を皮切りにパチンコ店員、ホテルのドアマンなど複数のアルバイトを掛け持つ日々を送る
25歳 「25歳までには定職につくように」との母親からの言いつけを守り、転職活動を開始。苦労の末、大手かつらメーカーへの就職が決まる
29歳 沖縄県那覇市への転勤が決まる
30歳 沖縄で出会った女性と結婚
34歳 大手ハウスメーカーに転職。沖縄支店に勤務する
37歳 初めての物件となる新築マンションを沖縄県名護市に購入
42歳 初めての軍用地を約500万円で購入
45歳 賃貸経営が安定したことを受けて退職。専業の不動産投資家となる
46歳 軍用地の可能性に気づき、ここから一気に買い増しを始める。同時期にマンション、アパートをマンスリーマンションやホテルに業態転換する旅館業も開始
52歳 軍用地の保有額が10億円を突破したほか、マンションを4棟68戸所有、年間の借地料と家賃収入の合計が約8600万円となる

◆愛妻の切なる願いから沖縄への定住を決意
「私は東京の高校卒業後、百貨店や半導体メーカーの社員、ボーイ、ホテルのドアマンのバイトを転々としていたんです」

 その後、25歳で大手かつらメーカーに就職し、薄毛相談員となった三浦氏。さまざまな業種で鍛えた人生経験の豊富さが功を奏し、トップ営業マンとして活躍。

「29歳で沖縄へ転勤。翌年、現地の女性と結婚しました。ただ、仕事柄、転勤が多かったにもかかわらず、妻には『沖縄以外の場所に住みたくない』と泣きつかれて……。やむなく沖縄での定住を決め、ハウスメーカーの沖縄支店へ転職。今思えば、それが転機でした」

 ハウスメーカーでは、不動産の素人ながら、地主向けの建築と賃貸の営業担当を任されることに。

「仕事を通じて、自然と『どんな物件なら入居者が埋まるのか』がわかってきたので、次第に『埋まる物件を自分でつくればいいのでは』と思うようになったんです」

 37歳で初めてのマンションを沖縄県名護市に購入。順調に投資を続け、45歳で年間家賃収入4300万円を達成したのを機に専業大家に。最大9棟まで物件を増やす一方、出合ったのが軍用地だった。

「軍用地とは、米軍や自衛隊の基地として国が借り上げた土地のこと。毎年、軍用地には国から借地料が支払われるため、沖縄ではメジャーな投資です。国が借り手なので滞納もない。普通の不動産投資より物件の管理も手間がかからないという長所もあります」

 さらなるメリットは、担保としての信頼性が高いという点。

「軍用地は担保としての信頼性が高く、銀行もすぐに融資をしてくれます。また、普通の土地より評価額が低めなので、相続税対策にも有効。驚異的にローリスクで魅力的な投資先なんです」