親から会社を引き継ぎ、少なくない従業員を雇い、年金を支払ってきた2代目社長。いざ、自分が年金を受給する年齢になっても、もらえないのは不平等ではないだろうか(写真:Graphs / PIXTA)
現役時代から高い保険料を負担し続けた揚げ句、一銭も年金を受給できないとしたら、皆さんはどう思われますか。実は、そういう人たちが存在するのです。
日本の年金制度は、保険料納付という「義務」を負った人が年金を受給する「権利」を有します。以前、「『定年後も働くと年金は減額される』は本当か」という記事を書きました。その中で触れた、60歳以降の就労収入(厚生年金に加入している方の給与収入)によっては、本来受給できるはずの老齢厚生年金の一部、あるいは全部がカットされるという、諸外国にも例を見ない「不公平」な仕組みが「在職老齢年金制度」です。これにより、「就労意欲が低下する」と問題視した政府は、さすがに制度の見直しを検討しています。
その影響が最も大きいのは、60歳からすぐに老齢厚生年金を受給する「特別」な世代です。しかし、この世代自体、受給開始年齢の引き上げにより徐々に少なくなっています。その結果、男性は2025年、女性は2030年には、特別支給の老齢厚生年金の受給対象者がいなくなり、年金受給開始年齢が完全に65歳になるため、60歳前半の「在職老齢年金による就労意欲の低下問題」は、完全に収束します。

年金カットの目安はだいたい「月収36万円以上」

また、65歳以降の在職老齢年金は、厚生年金がカットされる基準が46万円以上と引き上げられるため、一般的なサラリーマンには、あまり影響がありません。なぜならば、老齢厚生年金の平均的な受給額は、月10万円程度と言われるなか、65歳を過ぎてもなお36万円以上の給与収入を得られる方は限られているからです。従って、今回の政府の見直し案を、「問題解決をしなければならない時期はすでに過ぎている」と評する人たちもいます。
しかし、それはあくまでも一般的なサラリーマンの場合であって、経営者のように給与額が高いまま生涯現役で仕事をする場合、「在職老齢年金」の影響で、年金を受給する権利を行使することなく生涯を終える方もいます。大和総研の調べによると、現在、65歳以降も年金が支給停止となっている人は約28万人もおり、その支給停止額は約3000億円にも上るそうです。
年金財政が厳しい状況のなか、「65歳以降も豊かに暮らせるだけの稼ぎがあるなら、受給する必要はない」という声が多いのも確かでしょう。しかし、私たちと等しく支払った保険料に対する「権利」という目で見ると、ひとごととして知らないふりもできないのではないでしょうか。実際、それに該当する方の例を見ていきましょう。

年金がもらえないなら「生涯現役」も考えもの?

Aさんは、2代目社長です。父親が経営していた会社に大学卒業後の23歳のときに就職。30歳のとき、父親の急逝により社長を引き継ぎました。会社の規模は、従業員30人ほどです。自分の代で規模が大きくなることはなかったものの、堅実に経営をしてこられました。現在65歳、後継者がなかなか見つからないのが目下の課題だそうです。とはいえ、今までお世話になってきたお得意様もいるので、できる限り長く仕事を続けたいと考えています。
Aさんは、20歳から国民年金に加入し、就職後の平均報酬月額は(給与の平均)40万円、社長就任後の平均報酬月額は80万円でした。
2018年(平成30年度)の国民年金保険料は1万6340円、厚生年金保険料は18.3%です。厚生年金保険料は労使折半ですから、9.15%が被保険者本人の負担率です。今回は計算を簡素化するために2018年度の保険料率を用い、Aさんが負担した保険料とAさんの年金額を見ていきたいと思います。厚生年金は標準報酬月額(年度始まりの受け取り給与の平均値)62万円を上限としていますから、役員報酬が実際いくらであってもその上限は62万円なので、Aさんの場合も62万円として計算します。
Aさんが20歳から60歳までに負担した保険料は、合計2432万8560円でした。改めて計算してみると、相当大きな負担です(国民年金2年、平均報酬額40万円で8年、その後62万円で30年として計算)。ちなみに、社長就任後のAさんの役員報酬にかかる会社が負担する保険料も、社長であるAさん自身の負担であると考えると、厚生年金保険料の負担額は、合計4475万1360円です。
では、Aさんが仮に60歳でリタイアしていたら65歳の今、受け取れる年金はいくらでしょうか。
Aさんは20歳以降保険料の未納はありませんから、老齢基礎年金は満額の77万9300円で、老齢厚生年金は143万3830円です。もし65歳から90歳まで年金を受給すれば、5532万8250円もの年金が受け取れるわけです。高額な保険料を負担しても、これだけ受け取れれば支払う意義を見いだせるのではないでしょうか。「長生き保険」として十分機能しているとうなずけます。
しかし、実際のAさんの場合、少し様子が違います。老齢基礎年金は在職老齢年金とは関係がありませんから、Aさんは受給の権利を失うことがありません。問題は老齢厚生年金です。Aさんが生涯現役を貫いた場合、この140万円もの「老齢厚生年金を受給する権利」がどうなるのかを見ていきましょう。
Aさんの役員報酬は、現在も80万円と変わりません。この金額は65歳までの在職老齢年金の判断基準28万円も、65歳以上の判断基準となる46万円もはるかにオーバーしますので、老齢厚生年金は全額支給停止です。
一方、厚生年金は70歳まで加入しますから、60歳以降もAさんは厚生年金保険料を負担します。先ほど同様18.3%の厚生年金保険料率と考えると、10年間でAさん個人が負担する保険料はさらに680万7600円追加されます。60歳までに負担した分と合算すると3113万6160円、会社負担分も合わせると5836万6560円です。
70歳まで支払った保険料は、Aさんの老齢厚生年金の「権利の年金額」も引き上げます。10年でさらに40万7786円加算されるので、今や老齢厚生年金は184万1616円です。
2004年までは、70歳で厚生年金の加入が終了すると、そこで在職老齢年金も終了しました。本来は晴れてここからは社長業を続けながら、老齢厚生年金を受給することができました。それが現在は、在職老齢年金の年齢上限がなくなりましたので、厚生年金保険料の支払いがなくなっても、会社から役員報酬を受けている限り、老齢厚生年金は受給ができません。つまり、生涯現役であれば、ずっと老齢厚生年金は受け取れないのです。

受給できない金額分はせめて所得控除にすべきでないか

Aさんには奥様がいますので、仮にAさんが亡くなられると奥様に遺族厚生年金が支給されます。この額は、本来Aさんが受け取るはずだった老齢厚生年金、184万1616円の4分の3に相当する138万1212円です。しかしながら、Aさんの奥様は、Aさんとともに会社を切り盛りしてきたので、ご本人も厚生年金に加入していました。奥様はAさんより一足先にリタイアし老齢厚生年金を受給していますが、この額が遺族厚生年金より若干多いため、奥様はAさんの遺族厚生年金を受給できません。
Aさんは在職老齢年金のことはよくご存じでしたが、あらためて会社負担分も合わせた5836万6560円という数字を見つめ、大きなため息をつかれました。「法律なのでどうしようもありませんが、なんともやりきれませんね」と。
さてここまで読んできて、皆さんは、「Aさんは会社社長で、生活にも困らないのだから別にいいのでは?」とお考えになりますか。Aさんも国民として、長きにわたり国の制度を支えてきた「同胞」であると思うと、同情される方も少なくないと思います。年齢にかかわらず、能力に見合う報酬を得ることは当然と考えると、実はAさんの例は必ずしも特別なものともいえません。
在職老齢年金制度を廃止すると、年金給付額は約1兆円増えると言われるなか、この制度が本当にどこまで見直しされるのかは、わかりません。しかし、年金受給の権利を一方的に取り上げるのではなく、受給できなかった年金額は所得控除に認めるなど、せめてこれまで支払った保険料が報われる仕組みも検討されることを願っています。