春うらら。GWも明け、4月には緊張した面持ちだった新入社員も、少しずつ新生活に慣れてくる頃だろうか。
 いっぽうで、3月末に退社したはずのおじさんたちが、気まずそうな顔をして席に着く光景が見られるかもしれない。「退社したはずのおじさん」というのは、4月以降はいったん退職して役職を奪われたのちに「ヒラ社員」として勤務を続ける社員のことである。多くの会社で雇用制度が変わり、60歳をすぎた社員に対しても雇用義務が発生したため、近頃そんなおじさん社員が大量に発生しているのだ。

これからのサラリーマンはどうやって生き延びたらいいのか

 年金の支給が、夏の道路に現れる「逃げ水」のように後ろ送りにされ、支給額も減額される時代、サラリーマンはこれまでのように60歳定年で老後は悠々自適に過ごすなどというお花畑な人生は用意されなくなっている。なんとか会社にしがみつく日々を過ごすことを余儀なくされているのだ。

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 それが嫌であれば、会社の門を出て、新たに職を見つけるか、自ら起業しなければならない。だが学校を出てずっと同じ会社に滅私奉公してきた多くのサラリーマンは籠から出た小鳥。これまでの鳥籠ならば、あまり自由がなかったかわりに毎月25日になれば餌箱に新たな餌が与えられ、腹をすかせて飢え死にすることはなかった。ところが籠から飛び立ってもどこにも餌箱はない。新たな籠を見つけたとしても餌箱に注がれる餌の量はびっくりするくらいに少ないし、起業でもしようものならあっという間に飢え死にするか、鳶や鷹に襲われるリスクに晒される。
 多くのサラリーマンの選択肢はしかたなく、会社にしがみつくこととなる。これまで仕事でこき使ってきた部下にかしずく。部下になれればまだまし。ほったらかしにされて一日中タコ部屋で無為な時間を過ごすことを余儀なくされるおじさんも多い。これでは生産性など上がろうはずもない。
 以前は60歳定年制には意味があった。日本人の寿命は1970年では男性で69歳、女性で75歳だった。会社を退職して10年もたたないうちに亡くなるから定年後を考える意味はあまりなかった。ところが、現在平均寿命は男性81歳、女性87歳。人生80年時代と呼ばれる所以だ。そしてこの間自分たちの生活を支えるはずの年金制度は、もはや誰の目から見ても破綻の危機にある。

還暦でも「大変だ。これからどうしよう」

 今後はさらに寿命が延びて人生100年時代を考えなければならなくなるとの説もある。サラリーマンがこれからをどうやって生き延びるかは深刻な問題だ。私も今年で還暦。この年頃になると、学校時代のクラス会の出席率は格段によくなる。以前ならば、還暦はちょっとしたお祭り。もう働く必要がなく、あとは孫の顔でも眺めながらつつがなく余生を過ごすのが老後だった。
 ところが最近は様子が違う。クラス会で久しぶりに顔を合わせると、どの同級生も「大変だ。これからどうしよう」という話ばかり。大企業のサラリーマンでも定年後の再雇用では給料が激減することを嘆き、どこか雇ってくれるところはないかと不安顔だ。医者や弁護士などの特殊技能を持つ人や自営業、会社オーナーなどは別だが、彼らに声をかけてくれる雇い主は少ないというのが現実だ。
 世の中では人手不足が深刻な問題になっている。会社も若い優秀な社員を雇うことが非常に厳しい状況にあるという。ならばこうした定年後のおじさん社員を雇えばよいかというと、そういうわけにもいかない。単純労働は別として能力がつりあわないからだ。

企業は「高齢者の雇用」「働き方改革」と生産性の両立に悩んでいる

 会社にとっては卵を産み続ける鶏は良い鶏だからいくらでも欲しいが、卵を産まなくなった鶏を何羽鶏舎に飼ったところで会社の利益はあがらないということになる。年金制度の維持が厳しくなるほど、国は高齢者の雇用を企業に押し付けようとしている。年金支給開始年齢はやがて65歳から70歳、あるいはそれ以上に延長されることも視野に入れざるを得ない状況が見え始めている。
 4月から、働き方改革関連法案が施行される。大企業は雇用者の残業時間に制限がかけられ、有給休暇の消化、2020年には同一労働同一賃金が義務化される中で、彼らの労働生産性をあげていかなければ、収益を確保していくことはできない。
 会社は、労働生産性をあげていく努力が求められるいっぽうで、卵を産まなくなった大量の高齢者を今後もさらに長期間にわたって雇い続けなければならないという苦難の運営を強いられることになるのだ。国内だけでなく世界中にライバルがひしめき合い、その中で戦っていかなければならない会社にとっては雇用の継続は大きな重荷になっている。
 本当にこんなことをやっていて日本企業は持続していけるのだろうか。そろそろ日本の雇用制度を見直す時期に来ているのではないかと考えるのは私だけではないはずだ。これまでのサラリーマンは22歳で集団就職(学卒一括雇用をこう呼んでもよいのではないか)して、60歳までの38年間、ふつうは同じ会社に勤めてきた。これが65歳になれば43年間、70歳まで働かざるを得なくなれば、都合48年間、なんと50年近くも同じ会社で、同じように働くことが本当に可能なのかということになる。

サラリーマンも「強制換羽」される時代

「強制換羽」という言葉をご存知だろうか。養鶏業では、多くの雌鶏を養っている。雌鶏は産卵開始後10か月程度たつと、次第に卵を産む回数が少なくなり卵の質も悪くなると言われる。そこで多くの養鶏場で行われているのが「強制換羽」だ。これは卵を産まなくなった雌鶏に対して10日から2週間程度絶食、ないしは栄養価の低い餌しか与えなくする飼育法だ。餌を与えられない雌鶏は衰弱して羽が抜ける。
 絶食を経たうえで新たに餌を与え始めると、必死に生を求める雌鶏は元気を取り戻し、再び卵を産むようになるのだ。この手法を施せば、一度は生産性が落ちた雌鶏に再び卵を産ませて収益を得ることが可能となる。養鶏場にとってはまさに「生産性の向上」だ。また絶食中は餌代もかからない。雛から卵を産む雌鶏になるまではコストも時間もかかる。この手法を用いれば「コスト削減」も実現できる。
 実際、45歳以上をターゲットとした早期退職者を募る企業が増えている。昨年6月にはNECが3000人規模の早期退職希望者を募り、2170人の応募があった(昨年11月時点)。今年に入ってからはカシオ計算機や富士通、コカコーラボトラーズジャパンホールディングスなど大手企業が早期退職希望者を募り、相次いで経営の立て直しをはかろうとしている。
 嫌な話だが、日本のサラリーマンにも強制換羽が必要な時代が来るかもしれない。実際にこうした雇用制度は多くの副作用を社会にもたらすだろう。特に40代後半で定年になったサラリーマンには次のステージに行けない者が出るだろう。子どもがいれば教育費が一番かかる世代でもある。養鶏場でも強制換羽を行うと少なくない雌鶏が飢え死にするという。
 ただ、会社は高齢者雇用が必要なくなれば、若い世代に多くの報酬を支給できるだろうし、重要な役職を早くから与えることができるようになる。国際競争力もアップするに違いない。社員の生産性も上がるだろう。
 強制換羽された社員たちは次のステージを与えられることで、生気を取り戻し、多くの実績を残す社員も現れることだろう。まさに政府が掲げる「一億総活躍社会」の実現だ。
 国はこれまでのように高齢者ばかりを対象にした社会保障制度を見直し、強制換羽されて立ち行かなくなった人たちに手厚い失業手当や大学までの教育費の無償化などを支援するような制度設計の変更をしてみたらどうだろうか。社会保障の役割は高齢者のためだけにあるのではないのだ。
 これまでの制度の延長線上の考え方でいくら小手先をいじくっても、もはや問題の解決には程遠い状態に日本は陥っている。同じ雌鶏が2度卵を産めるように、サラリーマンも国の手厚い支援のもと、何度でも活躍できる社会にすること、これこそが高齢化社会ニッポンの未来図なのではないだろうか。

48歳からが人生の「後半戦」

 私たち個人も考え方を変えたほうがよさそうだ。たとえば70歳まで働くとして、サッカーの試合と同じように仕事を「前半戦」と「後半戦」に分けて戦うのだ。22歳から47歳まででいったん定年退職。そして48歳からは後半戦を戦うにふさわしい次のステージに進むのだ。
 多くの大企業では47歳くらいになれば、会社内の出世競争にはおおむね決着がついている。会社は選抜した社員だけを経営層として残す。出世できずに不貞腐れた社員に70歳まで延々と働いていただく必要がなくなる。良いことづくしだ。いっぽうで志破れた社員にとっても、次のステージに再チャレンジができる。60歳や65歳ならば新しい職種を選ぶことも難しいだろうが、47歳であればまだまだ体も若く、チャレンジがしやすいというものだ。だいいち、47歳定年であれば、それまでの間も緊張感をもって仕事をし、当然人生の後半戦に向けて作戦をたてて生きていくことをおのずと選択するようになるであろう。勉強もするだろうし、副業も真剣に始めるだろう。これからの時代、何より必要なのは、自分の人生を国や企業によって狂わされないよう自衛する力なのだ。
(牧野 知弘)