個人的な考えですが、私は日本の教育・進学システムだけでは不十分で、家庭での教育を重視しています。学校で伸ばすのが難しい能力は、家庭で補っていくことが重要です。

成功する子を育てる教育とは? 学校以外でどう補うか

これは個人的な考えですが、子供の教育において、私は日本の教育・進学システムだけでは不十分で、家庭での教育を重視しています。

たとえば授業でも、先生が一方的にしゃべって児童生徒はただそれを聞くだけ、というやり方がほとんどです。講義形式は大人数に対してまとめて知識を伝授するには効率的な一方、それを受け取る方は単に録音機のようなもので、思考停止していると言っても過言ではありません。

疑問を持っても立ち止まることは許されず、もっと興味を持っても深堀りすることも許されず、つまらなくても抜け出すことはできず、淡々と授業は続けられ、まだ集中力があっても時間が来れば打ち切られます。

これはやむを得ない面もあるため、学校以外の時間で補ってあげる必要がある、というわけです。

従業員量産システムの学校教育

また、教育カリキュラム自体の問題もあります。たとえば、学習指導要領は政府の人間が作っていますが、それだけでなく多くの教育サービスは、すべて雇われた経験しかない人たちによって作られています。彼らは実業をやった経験がない。それは学校の先生も同じ。

だから、行政や学校(特に大学)が推奨・主催する「キャリア教育」は、基本的には「就職教育」です。大学で進路指導をする職員も雇用されたことしかないから、「就職」という道しか示せない。世の中には3万種類を超える職業があるわけですが、学校教育の中だけで教わるキャリア教育は非常に狭く、特に日本の学校は「従業員量産システム」の域を出ていないと言えます。

教育に「人材」という言葉は適切か

たとえば2020年からの大学入試改革、教育改革でも、文科省が提唱している項目のひとつに「グローバル人材の育成」というのがありますが、違和感を覚えます。というのも、ひとかどの人間に、「人材」などという言葉は使わないからです。

たとえば孫正義氏やスティーブジョブズ氏に、「グローバル人材」などと言うでしょうか。むしろ「世界レベルの傑出した人物」と言うでしょう。結局、雇われる存在しか念頭にないために「人材」と表現するのでしょう。

また、その教育改革においてアクティブラーニングが採用されようとしていますが、慣れない手法に現場がどれだけ対応できるか、疑問が残ります。

テストの後に親が気にすべきは点数ではない

確かに、名門校や個別の学校では考える力の養成を重視しているところもありますが、一般的な学校システムには学習意欲や問題解決能力を育てる機能はないし、先生もそれらを効果的に教えることは難しい可能性が高い。そういう限界を知り、学校と家庭との役割分担をする必要があります。つまり学校では読み書きそろばんのスキルを伸ばし、家庭ではそれ以外の能力を伸ばすことに、親は注力するということです。

真の学力とは、自分で課題を見つけ、自ら主体的に学び、探求し、それまで獲得した様々な知恵を組み合わせ、あるいは必要な分野を新たに習得し、より良い問題解決に導く姿勢・資質のことです。そもそも子が社会に出るころには、何の職業につくかわからないし、環境がどう変わっているかもわからない。だからそういう状況でも自ら目標を設定し、それに対する最適な手段を選択する能力の獲得が必要です。

そのためにも、親はテストの点数や偏差値で一喜一憂しないことです。子のテストの結果よりも、たとえば「平均点からどのくらい上下なのか」「その理由は何か」を聞く程度に済ませ、「今回の問題点と今後の課題・改善点、戦略」を分析させることです。子どもが小学生など小さいうちは、頭の中だけで整理するのは難しいでしょうから、紙に書いてもらってもよいでしょう。

子どもの教育では、何をではなくどう学ぶかが重要

大事なのは点数よりも、自分の課題を見つけ、対策を探り、目標を設定し、自分にあった勉強法を自分で見つけることです。これは社会に出てからも要求される能力であり、その学び方の違いで差が生まれます。何を学ぶか、よりも、どう学ぶかが、クリエイティブな能力、イノベーティブな姿勢につながります。

出典)『「稼ぐ子」に育てるために今すぐやめる24のタブー』(マガジンハウス)
(文:午堂 登紀雄(マネーガイド))