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「税を払いたくない」の根底にあるもの

税の話をすれば嫌われる。そんなことくらいはわかっている。僕だってわざわざ人から嫌われたくはない。いわんや財務省に気に入られているわけでも毛頭ない。
どうしても解せないから考えたいのだ。なぜ、税がとても高いことで知られる北欧の国ぐには、日本よりも経済成長率が高く、所得格差が小さく、社会への信頼度や幸福度が断然高いのだろうか。そんな素朴な疑問がどうしても頭からはなれなかった。
北欧諸国(スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェー)の平均値と日本の数値をくらべてみよう。
税と社会保険料をあわせた国民負担率は、北欧が59%、日本は43%、北欧のほうが断然、負担は大きい。だが2000年~17年のGDP成長率を見ると、北欧が1.7%で日本は1%だ。
他者を信頼するかを尋ねると、北欧の人たちは73%が賛成するが、日本は34%にすぎない。幸福度にいたっては北欧が5位、日本は51位という有様だ。
税が高い社会が悪い社会というわけではけっしてないはずだ。それでも僕たちは税をひどく嫌う。いったいどうしてなのだろう。
「税」への反発の強さを見ると、その社会の姿が見えてくる。
頑張って稼いだお金を自分のためだけではなく、だれかのためにも払う、それが税だ。もちろん税は強制的に取られる。だけど、その根底に、同じ社会を生きる人たちと「痛みを分かち合おう」という気持ちがなければ成立しない仕組みであることも、事実だ。
反対にいえば、税の痛みがつよい社会とは、その社会を生きる人たちが「ともに生きる意志」を持てない社会だということになる。
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日本は税の痛みが強い。中間層の税負担について尋ねると、北欧では32.3%の人たちが「あまりにも高い」「高い」と答える。これに対して日本では50.1%だ。北欧に比べて税が安いはずの僕たちのほうが、税に強い痛みを感じている。
ちなみに、貧しい人や、お金持ちの税負担について尋ねてみると、「あまりにも低い」「低い」と答えた人の割合も、明らかに日本の方が大きい。
内閣府による暮らしぶりを尋ねた調査を見てみると、驚くべきことに回答者の93%が「自分は中流だ」と答えている。大勢の人たちが「自分の税は高いけれど、自分以外の人たち(富裕層や貧困層)の税は安い」と考えていることになる。
もう一度いおう。税は「ともに生きる意志」をあらわす。でもこの国では、多くの納税者が「自分よりもまず、別のだれかから税を取れ」と考えている。なんとも悲しい話じゃないだろうか。

ただの「人間の群れ」になってしまう

ともに生きる意志を失えば、価値を共有することもむつかしくなる。
「あなたは、ご自分の人生をどの程度自由に動かすことができると思いますか」という問いについて、「全く自由にならない」から「全く自由になる」の十段階評価の日本の平均値は60カ国中59位だ。
「あなたは進んでわが国のために戦いますか」という問いに賛成する人の割合は最下位であり、「どれくらい自国には個人の人権への敬意があるか」という問いに肯定的な回答をした人の割合も、34位とふるわない。
自由、愛国心、人権、これらは「普遍的価値」と呼ばれる。つまり、どの国でも一般的にいって重要だといわれる価値観だ。
だが、そうした普遍的な価値を分かちあうことができず、利己的で孤立した、ただの「人間の群れ」へと僕たちの社会は変わりつつある。
仲間意識を持てなければ、目の前の人びとの苦しみへの関心も失われる。
実際、日本の財政を見ると、税と支出の両面で、所得格差を是正する力はOECDのなかで最低レベルだ。そして、所得格差を是正すべきだ、という問いにたいして賛成する人たちの割合もまた、少ない。平等という普遍的価値も共有されていないのだ。
他者への無関心だけならいい。「他人を犠牲にしなければ豊かになれない」という問いに賛成する人たちの割合は、1990年の24.8%から2010年には38%へと上昇した。所得格差を放ったらかしにするだけではなく、自分が豊かになるためには他者の犠牲も止むを得ない――人びとはそう考えはじめている。
ようするに、財政とは「共同行為」なのだ。生きること、暮らすこと、その究極の目的のために、人びとはともに税を払い、ともに未来の安心を形づくろうとする。
税への抵抗が強い社会とは、価値や目的を共有できない、だから共同行為も成り立たない社会だ。だから僕は、これを「分断社会」と呼んできた。
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注意してほしいことがある。日本の財政は空前の債務に苦しんでいる。でも、それは、単なる収入と支出のアンバランスの結果ではないのだ。
ともに生きることを受け入れようとしない人たちは、自らの負担に、自分以外の者に使われる税に、強い抵抗を示す。分断された社会の象徴が財政赤字の積み重ね、政府債務だ。危機的な財政の裏側には、引き裂かれた社会という慄然たる現実が横たわっている。

「自己責任」で縛り合う社会

左派やリベラル、そして現政権もこぞって使うことばに「共生」がある。だけど、現実の日本は、明らかにこれと反対の方向へと進みはじめている。
なぜこんなことが起きたのだろう。この問いに答えるヒントは「自己責任」だ。
日本ほど「自己責任」という考えを重んじてきた国はないかもしれない。現役世代に向かっている社会保障の対GDP比は、OECD加盟国のなかで3番目に低い。また、教育費の私的負担は一番大きい。つまり、子育て、教育、医療、介護、障がい者福祉、いずれをとっても自らの収入で、蓄えを作り、自己責任で将来にそなえなければいけないのだ。
ひとり親家庭にかんする衝撃的なデータがある。日本のひとり親家庭の9割は母子家庭だ。常識で考えれば、母親が働きにいけば、まずしい家庭の割合は減るだろう。ところが日本では母親が働くよりも、働かないほうが貧困率は下がる。
理由は簡単だ。子育てをしながらの正社員はむつかしい。でも、非正規のダブルワーク、トリプルワークで必死に働いても、生活保護のほうが収入は多い。
生活保護の一般的な利用率はスウェーデンで8割、フランスで9割だそうだ。他方で、日本のそれは15%程度、ひとり親家庭の就労率はOECDで3番目に高い。
なぜ、まずしくなるのに、母親は働くのか。それは人様のご厄介になることは「恥」だからだ。例えまずしくなろうとも、自己責任で生きていく、それがこの国では美徳なのだ。
将来不安はまずしい人たちだけの問題じゃない。仮に、夫婦各人の年収が1000万円、世帯収入2000万円の家庭があるとしよう。明らかな富裕層だ。でもどちらか一方が、けがや病気、あるいは精神的疾患で働けなくなったとする。するとその瞬間に、住宅ローンは支払えなくなり、子どもの教育水準も維持できなくなる。
自己責任の社会とは、運が悪ければ、だれもが将来不安に直撃される社会だ。責任を果たせなければ、「まじめに働かなかったからだ」「努力が足りないからだ」と突き放される。それなのに、この自己責任を果たせない人たちが急速に増えつつある。
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勤労者世帯の手取り収入のピークは1997年だ。21年前がもっとも豊かだったというのは異様なことだ。一人当たりGDPを見てみても、2000年には世界で2位だったが、現在では25位にまで低下している。
世帯収入400万円未満、手取りでいえば、340~50万円程度の人たちが全体の45%を占めている。それだけじゃない。かつては先進国で最高だった家計貯蓄率は、近年ではゼロ近くまで低下し、二人以上世帯の3割、単身世帯の5割が貯蓄なしと回答する。
自己責任で生きていくには、あまりにも経済が弱くなってしまったのだ。

増税で「寛容な社会」をつくる

自分たちの生活がきびしくなれば、他者への寛容さは失われる。だれかのために税を払うくらいなら、自分の暮らしのために蓄えをしたい。冷静に考えればもっともな話だ。
だが、ちょっと待ってほしい。全体の93%は自分を「中流」だと思っていたのではなかったか。本当に中流の暮らしが維持できているのなら、なぜそんなに税に痛みを感じるのか。
統計からわかることは、「子ども」と「持ち家」をあきらめたという悲しい現実だ。他者と同じような生活をするために、家族と終の住処をあきらめたのだ。
明らかに僕たちはまずしくなった。それなのに、自分はギリギリ中間層だと信じたい人が大勢いる。そんな社会が社会的弱者を慮れるはずもない。ちなみに、生活水準について尋ねた国際比較データを見ると、調査対象38カ国のなかで「中の下」と答えた人の割合が一番多かったのが日本だ。
いまの日本は、一部のだれかが困っている国ではないということだ。大勢の人たちが将来不安におびえている。「5年前より暮らしが良くなった」という問いに賛成する人の割合は17カ国中15位、「5年後は暮らしが良くなるだろう」という問いに至っては最下位だ。
だからだろう。人びとは「だれか」ではなく、「みんな」が安心できる社会を望んでいる。「国民みなが安心して暮らせるよう国は責任をもつべき」という問いにたいして、1990年に63.2%だった賛成者の割合は、2010年には76.4%へと増大した。
僕はこうした価値観の変化にしたがって、ひとつの提案をしたい。それは、消費税を軸として、みなが税で痛みを分かち合う一方で、子育て、教育、医療、介護、障がい者福祉といったベーシックなサービスを、無償ですべての人に提供するというアイデアだ。
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word; padding: 0px; word-break: break-all;"> 端的にいおう。もし消費税を7%強あげられれば、そんな社会は実現可能だ。重税だと思われるだろうか。でも、これでも先進国の平均以下の国民負担率でしかない。理論的、数字的な裏づけを知りたい人は、小著『幸福の増税論 財政はだれのために』を見てほしい。