高級スーパー成城石井やセブン-イレブンを中心に、全国の多数の店舗で定番商品として見かけるようになった大ヒット商品「イカ天瀬戸内れもん味」。
2013年12月の発売以来、じわじわと売り上げを伸ばし、人気テレビ番組で紹介されたことをきっかけに、全国から注文が殺到。全日空の客室乗務員が選ぶ全日空の「CAセレクト」でも高い人気を誇る。生産量はいまや累計1000万袋を超える。
この製造元は、広島県尾道市にある中小企業「まるか食品」。全国のイカ天メーカー11社のうち5社が集まる尾道(広島県内に9社)では最大規模だが、20年ほど前から売り上げは下がり、「瀬戸内れもん味」発売前には、2年後には経営危機が予測される状況だったという。窮地の状況から改革に成功した2代目社長の川原一展さんは何をしたのか。早稲田大学大学院ビジネススクールの入山章栄准教授が取材した。
まるか食品 代表取締役社長 川原一展氏

■父親から逃げるため、アメリカ留学を決意

▼第二創業

本連載では「第二創業」といって、ファミリービジネスで後を継いだ2代目・3代目などが、その企業に従来からある技術・商品に新たな経営視点を取り込むなどして会社を再飛躍させる企業に注目してきました。
今回紹介するまるか食品も「第二創業」企業のひとつ。2006年に後を継ぎ、7年間におよぶ商品開発の末に大ヒット商品を生み出した背景に何があったのか。2代目社長の川原一展さんの成功の理由について、経営学の視点で解説します。
「第二創業」第1のポイントは、本連載では何度も出てきている「知の探索」です。自分の眼の前ではなく、遠くの世界を見て知見を得たり、経験をしていくことを指します。人は認知に限界があるので、狭い地域・組織などに閉じこもっていると、どうしても幅広い視野が得られず、革新が起こしにくくなります。
したがって「知の探索」は世界の経営学ではイノベーションを起こす必須条件とされており、そして第二創業で成功する事業承継者の多くもこれを行っていることは、本連載で解説してきました。
川原さんの場合に興味深いのは、「知の探索」を実現させたきっかけが、「事業を継がせたい父親からの逃げ」にあったことです。
「うちは代々漁師だったんです。父は16歳から船に乗っていましたが、22歳のときに陸に上がって、イカ天製造を始めました」
このように同社の原点は、1961年に川原さんの父・鞆一さん(現会長)が土間で始めたイカ天製造です。
他社のイカ天製造は家内工業で、さして儲かる仕事ではありませんでした。しかし先代は事業として、儲かるようにと取り組み始めます。

■イカの干物をのすための機械を自ら開発

イカ天を作るためには、干したイカを食べやすいように「のす」(焼いて延ばす)工程が必要になります。この作業は大変手間のかかるものでした。しかし機械工作が得意だった先代は、イカの干物をのすための機械を自ら開発し、工程を自動化することに成功するのです。まるか食品では現在、複数回圧延機に通して、元のスルメからおよそ5倍の長さにまで延ばしています。
創業期より地元で愛されるロングセラー「郷の味」●先代の時代から改善を加えながら作られる定番イカ天。地元名物「尾道焼き」では、具材にもなる。
そんな工場の社長の子として生まれ育った川原さんは、学校から帰ると工場に行ってかくれんぼをしたり、従業員用の大浴場に一緒に入ったりと、生まれながらに「社長の後継ぎ」として育ちました。「物心ついたときから会社を継ぐものと思っていたので、プロ野球選手になりたいとか、そういう夢を持った記憶がないんですよね」と川原さんは言います。
しかし、そんな川原さんも成長するにつれ親の言いなりに「後継ぎ」になることに抵抗を覚え始めます。でもお父さんには反抗できない。そこで親から離れようと、地元尾道を出て、東京の大学に進学するのです。
しかし、想定は外れます。先代は営業で頻繁に東京に来るため、そのたびに呼び出されて会うことはしょっちゅうだったそうです。
このままではますます父親の言いなりで、イカ天メーカー後継ぎの運命から逃げられないと思った川原さんは、さらに遠くに行こうとアメリカ留学を思いつき、大学4年生の夏、大学を休学して2年間テネシー州の大学に留学します。そのときも「卒業してそのまま米国で就職すれば、父から逃げられる」と考えたそうです。大学ではマーケティングや会計を専攻しました。「最初は言葉がまったく通じない環境で、本当にきつかった」と言いながらも、授業についていくためにマーケティングの成功事例を多く学び、市場の見方、決算書の見方まで学んだと言います。実はこの経験が後の業績回復のときに役立つのですが、当時は「ついていくのに必死」だったと振り返ります。
イカ天の原料となるスルメ。原材料の高騰で、商品の確保が難しくなってきているという。
2年の留学を経て帰国した川原さんは日本で就職活動をします。ある食品会社から内定をもらった川原さんは、内定承諾書を持って実家に帰ります。しかし、そのときに父親からすかさず「この会社を頼んだぞ」と言われてしまい、結局は稼業を継ぐことになるのです。
川原さんは96年に入社後、東京の営業所に勤務し始めます。しかし、その頃から会社の経営は難しい局面を迎えます。売り上げの大半を占めていた主力商品の「郷(さと)の味」の売り上げは下降線をたどっていたのです。会社は新商品の開発などにも投資ができず、負のスパイラルに陥り始めます。
川原さんは2000年に尾道に戻って専務に就きますが、その後もしばらく業績は低迷。社長に就任した06年には、入社時に19億円あった売り上げが16億円を切るまでになっていました。
しかし後述するように、ここからまるか食品の復活劇が始まります。そしてその背景には、川原さんが米国で学んだマーケティングの知識が大きく貢献します。
このように、川原さんは事業承継を迫るお父さんから逃げまわった若い時期があり、それが結果として「知の探索」経験となり、やがて会社に革新をもたらしていくのです。プロセスがどうあれ、第二創業に「知の探索」はやはり不可欠のようです。

■リアル・オプションのマーケティング戦略

新社長となった川原さんが最初に取り組んだのは、米国で学んだ知識などを踏まえて、売り上げ拡大のために投資を集中させて毎月新商品をリリースすることでした。いわゆる「ショートターム」のマーケティングです。「売り上げを回復させることが社長としての至上命題でした。とにかく営業マンの頭数を増やし、訪問数を増やすこと。
「ショートターム」マーケティングで生まれた「イカ天瀬戸内れもん味」●製法、形状も定番「郷の味」とは異なる新・看板商品。最後にレモンパウダーをかける。
そのとき、営業マンは新商品を持っていったほうが営業しやすいので、とにかく新商品という弾を切らさずに充填することが必要でした。そこで新商品を毎月出すことを命題にしました」。
それまで新商品は年に1回程度。それを「月1回に増やせ」の号令に、社内に激震が走ります。季節に合わせてトマト&バジル味、韓国のり味、わさび味、カレー味など、さまざまなイカ天やのり天を作り、時にはパッケージを刷新するなど、とにかく毎月新商品を出し続けました。「ペースが速すぎる」と営業からクレームが来るほどだったそうです。大量に売れ残る失敗商品もたくさんありました。しかし川原さんは、この戦略をひたすら続けたのです。
当時、まるか食品は、ロングセラー商品とショートセラー商品を組み合わせたマーケティング戦略を取っていました。ロングセラーの定番商品ばかりを作ろうとすると、どうしても無難な商品になってしまうからです。まずは期間限定で出して、売れ行きがいいものは定番商品に切り替える。今でこそスーパーやコンビニの売り場は期間限定商品で溢れていますが、当時、ショートセラー戦略は、カルビーや明治など、売り場をコントロールできる大手しかやっていなかった手法でした。「イカ天瀬戸内れもん味」は当初、13年夏、4カ月の期間限定のショートセラー商品だったそうです。
「イカ天って夏場はビールのアテなんです。それまで夏の定番だった辛い味が売れなくなってきていて、社内は焦っていた。そのときに企画チームが、『夏、さわやかってどうでしょうか』って言い始めたんです。そのころ、のり天紀州の梅風味がヒットしていて、そこからポン酢味、ビネガーを入れたさっぱりタルタル味なんかを出したりして。ちょうどそのときに、広島県が、『レモンの生産量日本一』のキャンペーンを始めた。そこに乗っかって、『瀬戸内れもん味でいこう』と言って始まりました」。結果的に、これが大ヒットにつながっていきます。
この川原さんのショートタームのマーケティング戦略は、経営学でいう「リアル・オプション」そのものです。リアル・オプションとは、「不確実性の高いビジネスでは、比較的小規模・短期間の投資でリスクを抑えながらさまざまな手を打って、その中で大きく当たりそうだとわかったものだけに後から大きく追加投資をする」という考えです。まさに川原さんは、ショートタームで製品を出すことで、少額であえて「変わった製品」を多く出し、結果として大きな果実につなげたのです。

■親から受け継いだ、ソーシャル・キャピタル

第3のポイントは、まるか食品には先代から脈々と受け継がれる「社員を大切にする」姿勢が築かれていたことです。経営学では、この信頼関係を総称してソーシャル・キャピタルと呼びます。時には技術力や個人の能力以上に、企業経営に重要な経営資源とも言われています。
新商品企画を担当する松枝修平さん(写真右)。ショートタームの商品開発を支えた。
実際、イカ天瀬戸内れもん味の成功には、同社のソーシャル・キャピタルが生きました。例えば、同商品が一口サイズで、また黄色をベースに水色の文字を配置したポップなデザインのパッケージにしたのは、同社の女性社員の意見でした。
「実は、当時一口サイズに一番反対したのは僕だったんです。でも、企画チームがお客様の声を集めたら、一口サイズを求める声が多いと言うので認めました」
従業員の意見を大切にするという先代から会社に根付いたソーシャル・キャピタルが、大ヒットにつながったといえます。
「僕自身は、父から仕事の話で、『稼げ』と言われたことはないんですよ。『全部従業員のためになる会社にしろ』としか言われていない。どんなに不況でも、人件費率を下げる努力はしても、給料は上げなくてはいけない。絶対に下げてはいけないと先代から厳しく言われて、いまも守っています」
大ヒット商品の登場で業績は見事にV字回復し、18年の売上高は約22億円に。17年からは、財務諸表をすべてオープンにし、その読み方も社員に教えているという川原さん。持続的な会社をつくっていくためにも、従業員を育てるという先進的な会社経営を、尾道の小さな食品加工会社が行っているのです。
▼第二創業成功のポイント:まずは「期間限定」、売れそうなら一点突破で全面展開
会社概要【まるか食品】
●本社所在地:広島県尾道市美ノ郷
●資本金:9471万円
●売上高:22.4億円(18年2月期)
●従業員数:120人
●沿革:1961年、現会長・川原鞆一氏が創業。2013年に発売した「イカ天瀬戸内れもん味」の大ヒットで14年以降は毎年130%の増収増益を重ねる。
●社長:1968年、広島県生まれ。武蔵大学、テネシー・マーティン大学卒。2006年より現職。
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入山章栄
早稲田大学ビジネススクール准教授
三菱総合研究所を経て、米ピッツバーグ大学経営大学院でPh.D.取得。2008年よりニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールの助教授を務め、13年より現職。専門は経営戦略論および国際経営論。近著に『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』。
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▼本連載のリアルイベントを6月6日(木)に開催します。ぜひご参加ください。
「未来志向のファミリービジネス」を6月6日(木)に開催!
(早稲田大学ビジネススクール准教授 入山 章栄 構成=嶺 竜一 撮影=大崎えりや)