東京郊外で一人暮らしの甲斐さんは20回以上転職を繰り返してきたという(編集部撮影)
この連載では、女性、とくに単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介するのは、「私は、地方出身者です。結婚しないため訳あり呼ばわりされ、関東の都市部に出てきました。はじめは仕事がありましたが、年齢、資格、病気などで、仕事もなくなってきました」と編集部にメールをくれた49歳の独身女性だ。

ブラックな職場でも勤めるしかない

「何もかもうまくいかないです。どん底から抜けだせません」
甲斐道子さん(仮名、49歳)は、東京郊外で一人暮らしだ。自宅近くのファミレスで待ち合わせ、どんよりとした陰鬱な雰囲気を醸す彼女に話しかけた。浮かない表情で、ぼそりとつぶやく。彼女は市内の介護施設に勤める准看護師で、結婚経験はない。
「3月31日付で働いていた介護施設を辞めました。入社半年、また1年間もちませんでした。こっちにきて、転職はもう20回以上。そのグループホームは、時給900円。休みはほとんどなくて、一度出勤すると日勤→夜勤→日勤で36時間労働とか。すごくブラックな職場でした。
それに社会保険も毎月10万円以上、全額引かれていました。さすがにおかしいと思って、年金事務所に問い合わせた。『あなたは社会保険に加入していません』って言われました」
また介護業界絡みの貧困だった。介護保険法改正以降、都道府県は条件さえそろえば、どんな零細法人にも介護事業の認可を下ろす。結果的に悪質な介護事業所は激増し、そのほとんどは零細企業で、低賃金と違法労働の温床となっている。
筆者は介護事業所のことに詳しいが、彼女が勤めていた介護施設はずば抜けた悪質さだった。
会ってすぐに語ってくれた簡単な内容だけで、すでに複数の問題がある。昨年10月から東京都の最低賃金は985円に改正された。時給900円は最低賃金を10%近く割る。休憩なしの36時間労働は労働基準法違反で、さらに法人が半分を負担する社会保険料を全額負担させた揚げ句、未加入となると詐欺など刑事罰に該当する可能性もある。めちゃくちゃである。
介護は深刻な人材不足なので、准看護師有資格者ならば時給1500~1800円くらいが妥当な賃金だ。彼女は介護施設や病院をいくら回っても採用されず、その悪質事業所で働くしか選択肢がなかった。
「転職が多すぎるとか、人は足りないけどあなたはいらないとか。そんなのばかり。だから、ブラックなところで働くしかなかった。働き続けないと家賃4万5000円が払えなくなって、ホームレスになってしまいます。だから、どんなひどい条件でも働くしかありません」
人見知りな性格らしいが、話しているうちにだんだんと表情の硬さが和らぎ、うつむいていた目線が上がっていった。彼女はさまざまな不遇に不遇が重なって、家族や友人の助けもなく、長年にわたって貧困に陥っている女性のようだ。

給料はいつも12万~14万円程度

3月まで働いていた介護事業所は、給与明細がなかったという。労働条件や給与を口頭で聞いていく。
先月は時給900円で270時間働いた。タイムカードはなく、手書きで労働時間を提出している。自分で簡単に計算すると、額面給与は24万3000円。15日〆で25日に現金だけが入った茶封筒を渡される。封筒にあるお金はいつも12万~14万円程度で、額面から10万近く減っている。経営者からは「社会保険料と税金を引いているから」と説明されていた。

甲斐さんは貧困だけでなく、ずっと孤独な生活を送ってきた(編集部撮影)
漠然とおかしいとは思っていたが、具体的に何が違法なのか理解していなかった。彼女の知識は雇用半年間で有給休暇が発生することだけで、残業や休日出勤の割増賃金や東京都の最低賃金のことは知らなかった。准看護師として月270時間の労働をしながら、生活保護の最低生活費水準の収入で暮らしていた。
法律やコンプライアンスを知らない介護職に違法労働をさせたり、正当な賃金を支払わないのは、あちこちの介護事業所で行われている。労働基準法違反は介護保険事業の取り消し要件であり、証拠をそろえて請求すれば架空の社会保険料や未払いの割増賃金などは返ってくるはずだ。あまりにもひどいので泣き寝入りではなく、労働基準監督署にでも労働組合にでも相談したほうがいいことは伝えた。
「20回も転職した理由は、ぜんぶイジメ。あることないこと言われて解雇になったり、仕事ができないって怒鳴り散らされたり、生意気だとか。ずっとそんな感じ。普通に平穏に働けた経験は、一度もありません」
「恋人は当然、友達もほとんどいないです。私なんかの話を聞いてくれて、本当にありがとうございます」
しばらく過酷な違法労働の話を聞いていると、そんなことを言い出した。自虐や謙遜ではなく、本当に話を聞いているわれわれにお礼を言っているようだった。どうも彼女は貧困だけでなく、ずっと孤独な生活を送っているようだ。筆者が「なんでも聞くから、どんどん話してください」と伝えると、少しだけ笑顔になり、地元と家族の話が始まった。
地元は九州の衰退する街で、両親と弟が暮らしている。彼女は27歳のとき、准看護学校を卒業し、都内の病院に就職するために上京した。
「私、小学校でも中学校でも、家庭でもずっとイジメられていて。両親からは毎日殴られたり、蹴られたり。虐待です。2歳年下の弟も中学生になってから、私に暴力を振るうようになって。もう起きている時間は、ひたすら暴力に怯えるみたいな生活でした」
物心ついた頃から両親からの虐待がはじまり、弟は中学生になってから家庭内暴力を起こすようになった。家庭内暴力で、最も被害を受けたのは姉の甲斐さんだった。

家庭と学校でイジメられていた

「両親が虐待する理由は、気に入らないとか、勉強ができないから。いちばんおそろしかったのは弟で、木刀で殺意みたいなのを持って殴りかかってきたり、本当に毎日命の危険を感じるような数年間でした。
私は小学校1年生の頃からクラスだけでなく、学校の全員からイジメられていて“ばい菌”とか“汚い奴”とか呼ばれていました。小学校は入学から卒業まで人間扱いされませんでした」
2歳下の弟は「ばい菌の弟」ということで彼女と同じく、小学校入学から徹底的にイジメられたという。高学年になる頃には学校や家族を恨むようになり、中学生になって非行に走った。とくにイジメの原因となった姉への恨みは尋常ではなく、彼女は何度も病院送りとなっている。
「家族や弟の殴る蹴るだけじゃなくて、存在が認められない学校のイジメはツラくて、親や先生にも何度も相談しました。登校拒否したかったけど、母親が世間体の悪いことをするなって暴力を振るう。学校に行けば先生は“イジメられるほうが悪い”しか言わなくて、本当に逃げ場は一切ありませんでした」
昼時のファミリーレストラン。彼女の居住地は東京都下で、ランチの繁忙時間でもそんなに混んでいない。甲斐さんは痛々しいこれまでの経験を独白みたいな口調で語る。筆者は黙ってうなずいたり、相づちを打ちながら聞き続けた。
「中学生になってからは両親、特に母親が厳しくなった。友達はゼロだったけど、誰かと交流するとかテレビとか禁止されて、一日中家で勉強しろみたいな感じになった。それで、テストができないと暴力です。怖いし、痛いし、仕方なく親の言うことを聞いていました。でも結局、成績はあまり上がらなかった」
人の絶望的な状況はどこかの分岐点で回復したり、立ち直ったりするのが一般的だ。しかし、甲斐さんの最低空飛行が終わることはなかった。
「あれだけ閉じ込められて勉強したのに、公立高校は不合格。それですごく偏差値の低い私立高校に進学して、母親は本当に怒りました。
私立の制服で近所を歩かれると恥ずかしいって怒鳴って、明るい間に自宅に帰ることを禁止されました。必ず部活に入って、誰もいない夜に帰ってこいって。朝も早く登校して、私立の制服を誰にも見られるな、みたいなことを厳しく言われた」
母親に部活の最も厳しい吹奏楽部入部を強制されて、楽器未経験者で入部した。毎日の練習に朝練もあり、とにかく部活漬けという生活になった。
「部活では最初から最後まで迷惑なお荷物でした。未経験者は迷惑って何度言われたかわからないし、本当に1日でも早くやめたかった。けど、母親が絶対に退部は許さないって。仕方なく3年間続けました。高校でも友達はできなくて、誰かと遊んだ、楽しく会話したみたいなことはまったくありませんでした」

准看護師になってもイジメられ職場を転々とした

県外の短期大学に進学。卒業の頃、まだバブル期で就職は売り手市場だった。信用金庫や農協など、自分なりに就職活動は頑張った。しかし、どこからも内定をもらうことはなかった。フリーターになって最低賃金のコンビニや飲食店員、非正規事務職などをして細々と働いた。月収15万円を超えたことは一度もなかった。
「地元には友達は誰もいないし、家族からの暴力もあるし、逃げたいっていつも思っていました。それで25歳のときに准看護学校に入ったんです。なんとか資格を取ることができた。それで27歳のとき、東京の病院に受かって上京しました」
過酷な勤務を強いられる病院は、女社会であり、人間関係は荒れがちだ。さらに資格社会なので准看護師というだけで厳しい扱いとなり、子どもの頃のようにイジメられた。人間関係の難しい大きな病院ではなく、小さなクリニック、クリニックではなく介護施設と、イジメられるたびに解雇になったり、自主退社して職場を転々とした。
30歳を超えた頃から、正規では雇用されなくなった。最終的に介護施設の非正規を転々とした。収入は手取り13万~18万円程度で、20年間で余裕のある生活は経験したことがない。イジメられることのない平穏な職場も経験がなく、20年間ずっと低賃金で、嫌がらせや暴言を浴びる毎日だという。
「ツラいといえば、ツラい。けど、ツラくない経験はしたことないので、慣れている。でも1カ所で仕事を続けることがどうしてもできません。40歳を過ぎてからは本当にブラックなところしか採用されない。ずっと貧乏だし、孤独だし、ただただ生きているだけって毎日です」
家賃4万5000円に、節約に節約を重ねる最低限の生活でも生活費は月8万円は必要である。32歳のときに仕事が決まらなくて、経済的に破綻した。このままでは餓死をしてしまうと、役所に相談をしたら生活保護が受給できた。本当に助かった、と思った。
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ったく採用されないで収入と貯金がゼロになったことが3度あって、そのたびに生活保護を受けています。資格持っているのにどうして?ってソーシャルワーカーの人に厳しく言われるので、できれば生活保護はもう受けたくない。だから今、必死に仕事を探しています。今日も明日も、介護施設に面接に行きます」
数年前、東京での生活に限界を感じて九州に帰郷したことがある。実家は両親と弟が住み、家族から「本当に迷惑なんだけど」と何十回も言われたという。実家に居場所はなく、外に散歩に出かけた。小さな商店の前で、中学の同級生にばったり会った。彼女は勇気を振り絞って「〇〇さん、久しぶり!」と声をかけた。
「同じクラスだった同級生がいたので声をかけたんです。そうしたら無言で冷たい目線で、3秒間くらいじーっと見つめられた。それで、シッシッと手で払われました。そのときに、もうここにはいられないって悟りました」
3月まで働いた介護施設は、慢性的な人手不足だった。採用も即決まって翌日から勤務した。一度出勤すると12~36時間帰れない長時間労働だった。36時間労働は本当にツラく、寝不足と疲労で目の前がかすんでくる。家に帰れば、倒れるように眠って起きたらすぐに出勤しなければならない。

厳しい日常を繰り返すしか選択肢がない人生

「孤独がツラくて恋人がほしいって思ったこともありました。婚活パーティーとか街コンとか何度か行ったことがあります。でも、誰からもあいさつすらされないし、ずっと無言で立っていなきゃならない。すごくツラい。
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好みの男性のタイプは岡田准一君です。でも岡田君みたいな人は誰もいない。だから、もう恋人とか男性と知り合うとか諦めました。だから、彼氏いない歴は年齢です。49年いません」
ファミレスで彼女の哀しい独白に耳を傾け、2時間くらい経っただろうか。“岡田准一のような恋人がほしいけど、諦めた”という言葉を最後に話は終わった。地味な色合いのおばさんっぽい服装や髪型など、見た目から変えていけば……というアドバイスがのどまででかかったが、彼女は無職の貧困なのでそんな経済的な余裕はない。
また職探しをして、おそらく不人気なブラックな介護施設に非正規雇用される。厳しい日常を繰り返すしか選択肢がない。49年間、楽しいことや笑ったことがほとんどない人生――ちょっと筆者には想像がつかなかった。会計して彼女は木造アパートがある自宅の方面へ、筆者は新宿行きの急行に乗るために駅へと向かった。
トボトボと歩く甲斐さんの後ろ姿に、苦境から抜け出せる日はくるのだろうか、と哀愁を感じた。
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