DNAのうち遺伝子と呼ばれるのは2%ほど。残りの98%のDNAはこれまでゴミだと思われていたが、その機能が、少しずつわかってきた。2019年5月5日(日)放送の『NHKスペシャルシリーズ人体Ⅱ遺伝子』ではその最前線を描く。番組の制作統括を務めたNHKの浅井健博氏は、「コーヒーが、体に良いか悪いか。人によって得られる効果に違いが出るのは、DNAの未知の領域に秘密がある」という――。
『NHKスぺシャル シリーズ人体』チーフ・プロデューサーの浅井健博さん

■あまりに大事な「遺伝子」を、私たちはよく知らない

私たちの体は「遺伝子」によって形作られています。皮膚や筋肉、心臓など人間のあらゆるパーツは遺伝子にある設計図を元に作られています。それだけ人間にとって大事な遺伝子なのに、私たちはその実態をよく知りません。
2017年9月から始まった『NHKスペシャルシリーズ人体』は、2018年3月に全8回のシリーズを終えました。その後視聴者からの反響をいただき、今回『シリーズ人体Ⅱ』として再出発することになり、司会の山中(伸弥)教授とも話し合った末に、すべての根幹である遺伝子を取り上げようということになりました。
1年間の制作期間を経て、遺伝子に関する膨大な取材を二回の放送にまとめています。1回目(2019年5月5日放送)は「トレジャーDNA」について、2回目(2019年5月12日放送)は「DNAスイッチ」。遺伝子研究の最前線を描いています。

■見えてきた! コーヒー「体に良い・悪い」の理由

そもそもDNAと遺伝子は混同されがちですが、DNAの中で人体の設計図を持つものを遺伝子といいます。すべてのDNAのうち遺伝子は2%とごくわずかで、今まではこの遺伝子を中心に研究が進められてきました。のこりの98%のDNA(non-coding領域)は「何の働きもしないゴミだ」と、長年考えられていたのです。
ところが技術の進化によって、この98%のDNAには、遺伝子をコントロールする役割があり、健康や能力に関わる情報が眠る“宝の山”だということがわかってきました。これが1回目の放送で取り上げる“トレジャーDNA”です。
番組では、コーヒーの摂取が体に及ぼす影響から、トレジャーDNAを解説しています。
コーヒーに含まれる抗酸化物質には、血管を若返らせ、心臓を健康に保つ働きなどがあって、「体に良い」とされています。一方、カフェインには、健康に良い効果もあるのですが、血管を収縮させ血圧を上げる可能性も指摘されています。コーヒーを飲んで心臓に良い効果が得られる人は、このカフェインの作用を、どうやって帳消しにしているのか。それが、大きな疑問でした。

■突然変異は誰にでも起こり得る

2019年4月25日に行われた番組試写会の様子。山中教授は、「今日もコーヒーを2杯飲んできました。今回、番組で自分のカフェイン分解物質は調べていませんが、DNAを調べたら嗜好が変わるかもしれません」と話した(撮影=プレジデントオンライン編集部)
遺伝子やDNAの研究が進むにつれて、トレジャーDNA(DNAの98%のnon-coding領域)がカフェインを分解する肝臓内の物質の多寡を決めていることが分かってきました。カフェインを素早く分解できるDNAを持つ人だけで調べると、コーヒーを一日2杯以上飲むと、心筋梗塞のリスクが3分の1まで下がることが明らかになりました。まだ研究の途中ですが、逆に極端に分解が遅い人では、心臓に負担がかかってしまう可能性があると研究者は指摘しています。
コーヒーは、ほんの一例に過ぎません。トレジャーDNAの働きによって、アレルギーやアルツハイマー病のなりやすさなどに違いが出る可能性がありあます。栄養の摂取量や薬の処方量なども、98%の領域のDNAの違いによって個人差がある可能性が示されているのです。
さらにトレジャーDNAは、体質だけではなく「人間の多様性」をも下支えします。
たとえば、水深70メートルまで潜って、10分くらい潜水し続ける「バジャウ」という海洋民族がいます。彼らにそのような能力が備わっているのは、酸素を供給するための脾臓が発達しているからで、こうした進化には、98%の領域の突然変異が関わって います。他にも、チベットなど4000メートルの高地で酸素が薄くても暮らせる人や、極端な動物食に頼るエスキモーにしても同様です。
突然変異は、特異な能力を持つ民族だけに起こるのではありません。自分では気づいていないだけで、ものすごい才能や能力が、私たち自身のDNAにも潜んでいるかもしれないのです。

■DNAスイッチを押すことで、才能が開花することも

2回目の放送では「DNAスイッチ」について取り上げています。専門的にはエピジェネティクスと呼ばれる分野です。DNAにはオンとオフを切り替えるスイッチのような仕組みがあり、それが遺伝子の働きをガラリと変えていることが分かってきたのです。
どういうことかというと、音楽のセンスがあっても、抜群に記憶力がよくても、遺伝子の働きがオフになっていればその才能は発揮されないままだということです。ただし、スイッチがオフであることはネガティブなことだけではありません。もし、太りやすいという遺伝子を持っていたとしても、それがずっとオフになっていれば、健康を保つことができるからです。
DNAスイッチの仕組みを理解し、コントロールできるようになれば、新薬を開発できるかもしれません。実際にがん治療の最前線では、薬で遺伝子のオンとオフをコントロールする治療の試験も始まっています。
どうすればDNAのスイッチを動かし、遺伝子のオンとオフを切り替えられるのか。そこには育った環境や生活習慣が関係するといわれています。まだ研究の最中ではありますが、「運命を決める」というDNAのイメージ自体が覆ろうとしていることは確かです。私たちは、ある日突然、何らかの才能を開花させられる仕組みを、確かに持っているのです。

■石原さとみさん、鈴木亮平さんの遺伝子検査の結果は

番組特設サイトもオープン。司会はタモリさんと山中伸弥教授が務める
では自分の遺伝子はどうだろうと知りたくなると思いますが、DNA検査もDNA解析と同じく進化の途上にあります。
今回、ゲストの石原さとみさんと鈴木亮平さんがDNA検査を行い、その結果を第1集の番組内でご紹介します。「遺伝子検査はどこまで信頼性があるのですか?」という質問をよく受けます。番組では、司会の山中教授が、一般的な遺伝子検査の受け止め方について、丁寧に解説してくださいます。
たとえば耳たぶの大きさは3、4個の遺伝子によって決まりますから、遺伝子を検査するとある程度納得のいく結果が得られます。一方で、「薄毛」は複数の遺伝子が関係していて、その一部だけを解析しても正しい結果とは言えません。また生活環境にも大きく影響を受けます。遺伝子検査は、検査を受ける側のリテラシーが欠かせません。

■断定的に報じることの危険性

山中教授は、「100%確かなことは何もない。だからこそ科学は面白い」と常々仰っています。世の中には「これが正しい」と科学を断定的に報じる情報が溢れています。テレビもそうです。この番組では、研究のレベルに応じて「これは仮説です」といったように、説明を加えるよう心がけています。「分からないことは分からない」ときちんと伝えていくことも、とても重要なことだと思っています。
遺伝子によって何がどこまで決まるのか。今はそのスクリーニングをかけている真っ只中です。可能性を秘めた世界の入り口に立ったにすぎません。医学の最前線、研究者の方々の探究心から目を離すことができません。
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浅井健博(あさい・たけひろ)
NHK大型企画開発センター チーフ・プロデューサー
1972年生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。1994年NHK入局。専門は科学ドキュメンタリーの制作で、主にNHKスペシャルを担当。これまで「足元の小宇宙」「腸内フローラ」「新島誕生西之島」「ママたちが非常事態」などを制作。放送文化基金賞、科学技術映像祭、科学放送高柳賞等を受賞。2017年9月からスタートした「シリーズ人体」の制作統括。
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(NHK大型企画開発センター チーフ・プロデュ