夫に隠れて、大金を受け取っていた妻。7年前に犯した過ちから、逃れられない恐怖
ーまるでお城みたいに、高くて真っ白な塔。私もあそこの住人の、一人になれたなら…。
ずっと遠くから眺めていた、憧れのタワーマンション。柏原奈月・32歳は、ついに念願叶ってそこに住むこととなった。
空に手が届きそうなマイホームで、夫・宏太と二人、幸せな生活を築くはずだったのに。
美しく白い塔の中には、外からは決してわからない複雑な人間関係と、彼らの真っ黒な感情が渦巻いていたー。
憧れのタワマン暮らしを始めた奈月だったが、元不倫相手が同じマンションに住んでいることが判明し、さらに、差出人不明の黒い手紙が、送られて来て窮地に立たされる。遂に犯人を見つけた奈月は、その正体に驚愕するのだった。
ずっと遠くから眺めていた、憧れのタワーマンション。柏原奈月・32歳は、ついに念願叶ってそこに住むこととなった。
空に手が届きそうなマイホームで、夫・宏太と二人、幸せな生活を築くはずだったのに。
美しく白い塔の中には、外からは決してわからない複雑な人間関係と、彼らの真っ黒な感情が渦巻いていたー。
憧れのタワマン暮らしを始めた奈月だったが、元不倫相手が同じマンションに住んでいることが判明し、さらに、差出人不明の黒い手紙が、送られて来て窮地に立たされる。遂に犯人を見つけた奈月は、その正体に驚愕するのだった。
真瀬ママが、罪を犯した理由
柏原夫妻がうちにご挨拶にいらした時、ふと、かつてこのマンションにいた、あるご夫婦のことを思い出しました。
お二人とも広告代理店にお勤めで、華やかな雰囲気のそのご夫婦は、いまの柏原夫妻と同じ部屋に住んでいました。
そのころの私は、娘の子育てに四苦八苦する毎日を送っておりました。経営者の主人は毎日忙しく、ほとんど頼れませんでしたので。
ある朝主人を送り出すため、娘を起こさないようそっと玄関を開けると、エレベーターの方からあのご夫婦の会話が聞こえてきたのです。
「ゴミ置き場、変な臭いしない?」
「オムツかもね。赤ちゃんいるじゃん。」
まさか。きちんと対策はしているので、そんなはずはありません。
濡れ衣を着せられたことを抗議するよう主人に強く訴えましたが、彼は私を一瞥し、ため息をつくだけです。
そしてその日を境に、主人はあまり家に帰ってこなくなりました。クレームをつけてまくしたてる妻の姿に幻滅したんだ、私はそう確信しました。
原因を作ったあの夫婦は、こちらの気も知らず、毎日着飾って、仲睦まじく出社して行きます。一人で娘を抱えた私は、その様子を睨みつける日々を送っていました。
だけど、オムツを入れた消臭袋を固く結ぶたびに、恨みは積み重るばかり。ある日限界を迎えた私は、彼らに不幸の手紙を送ることにしたのです。
ー私の家庭を壊しておいて、幸せな生活を見せつけるだなんて、絶対に許さない。
手紙には”お前の秘密を知っている”と書きました。心理学の本に、秘密や禁忌を仄めかすことは効果的と書いてあったのを、覚えていたからです。
そして、翌週にも、その次も。私は手紙を届け続けました。
そのことはマンション内でちょっとした騒ぎになりましたが、私が疑われることはありませんでした。
騒ぎの最中、次第にご夫婦が一緒にいるところを見かけなくなりましたが、それはどうやら、あの手紙がきっかけとなり、二人の間に互いに対する疑心が生まれたみたいです。
その後、離婚し、マンションを出て行くと聞いたときは、溜まった恨みが一気に洗い流されたような、そんな清々しい気持ちになったのです。
ですが、柏原夫妻と出会ってしばらくすると、消えたはずのあの感情が再び湧き出してきました。
可愛らしい奥様と優しそうなご主人が、まるでこちらに見せつけるかのように、手を握り合っている。
幸せの象徴のようなその姿は、離婚調停申込書を受け取ったばかりの私の心を、深くえぐりました。
真瀬ママの思い込みが、暴走していく…。
ですが、いくら柏原夫妻に黒い感情を抱いたとはいえ、それだけならただの嫉妬。そんな言いがかりで不幸の手紙を送ろうだなんて、私が思うわけありません。
しかし、マンションののママ友からあることを聞いて、私の考えは変わりました。
20階から乗ってきた同世代の女性が、大きな声で挨拶した子供を無視し、睨みつけた。同園のママ友からの密告に、私は驚きました。
そればかりでなく、その女性は、エレベーター内で子供が動くたびにため息を連発。挙げ句の果てには、子供や妊婦やご老人を差し置いて、会釈もなく扉から飛び出していったというのです。
「せっかく園で教えていただいているのに、ああいう人がいるのはねえ。」
娘の愛菜が通う幼稚園は人気が高く、マナーレッスンや情操教育にも定評があります。いろんなことをスポンジのように吸収できる貴重な時期に、あろうことか子供の前でそんなことをする大人がいるなんて。
ー柏原奈月が、子供達に悪い影響を与えている…。愛菜を守るためにも、やらなくちゃ。
そう決意した私は、逆上させないよう注意を払いながら、彼女に忠告しました。しかし、彼女は不満顔で否定しただけで、謝罪の言葉もありませんでした。
こうなったら、あの方法しかない。
マンションと、私自身の平和のため。私はそのために手紙を送ったのです。
しかし、マンションののママ友からあることを聞いて、私の考えは変わりました。
20階から乗ってきた同世代の女性が、大きな声で挨拶した子供を無視し、睨みつけた。同園のママ友からの密告に、私は驚きました。
そればかりでなく、その女性は、エレベーター内で子供が動くたびにため息を連発。挙げ句の果てには、子供や妊婦やご老人を差し置いて、会釈もなく扉から飛び出していったというのです。
「せっかく園で教えていただいているのに、ああいう人がいるのはねえ。」
娘の愛菜が通う幼稚園は人気が高く、マナーレッスンや情操教育にも定評があります。いろんなことをスポンジのように吸収できる貴重な時期に、あろうことか子供の前でそんなことをする大人がいるなんて。
ー柏原奈月が、子供達に悪い影響を与えている…。愛菜を守るためにも、やらなくちゃ。
そう決意した私は、逆上させないよう注意を払いながら、彼女に忠告しました。しかし、彼女は不満顔で否定しただけで、謝罪の言葉もありませんでした。
こうなったら、あの方法しかない。
マンションと、私自身の平和のため。私はそのために手紙を送ったのです。
騒動から数日経ち、手紙の呪縛から解き放たれた奈月は、いつも通りの生活に戻っていた。
ー真瀬さん、実家に帰ることになったみたいだけど…。愛菜ちゃんには悪いことしちゃったな。
ポストルームで真瀬ママから手紙を奪った際、背後に娘の愛菜ちゃんがいることに気づき、ハッとした。
すぐに腕を離したが、愛菜ちゃんは目に涙をため、「ママ、ママ」とすすり声を上げていたのだ。
小さな子供の姿を見ると、この事件を大っぴらにするのは気が引けて、マンションには届け出なかった。だけど真瀬ママは、さすがにここにはいられないと思ったのか、当面の間は実家に帰ることにしたらしい。
ーいいかがりとは言え、私の行動が引き金なんだもんね。…タワマンの人間関係、もっと気をつけないと。
より一層気を引き締めようと心に誓い、奈月はエントランスをくぐる。
「すみません、宅急便の送り状ください。」
コンシェルジュデスクには、吉岡多香子が立っている。慣れた様子で戸棚から取り出すと、両手を添えて笑顔で奈月に差し出した。
「どうぞ、お使いください。…ところで、トラブル解決したと聞きました。良かったですね。」
完璧な微笑みを浮かべ、多香子ははっきりとそう言った。その目線は何故か挑戦的で、奈月は思わず目を逸らしてしまう。
ー当事者と室井さん以外知らないはずなのに、なんで、この人が知ってるの?
「…どうも」
生返事とともにその場を離れた奈月は、部屋に戻るや否や、すぐに宏太に電話をかけた。
室井は普段からコンシェルジュには近づかないようだったし、真瀬ママ本人がいうはずがない。そうなれば、残るのは宏太しかいない。
「もしもし。」
数回のコールのあと電話に出た宏太の声は、近くに同僚がいるのか、ひそひそ声だった。
「ねえ、吉岡さんに真瀬ママの事言った?全部知ってるそぶりだったんだけど、心当たりない?」
「何だよいきなり。俺がいう訳ないじゃん。…ごめん、今忙しいから。」
ちょっと待ってよ、と言い終える前に、通話はブツッと途絶えたのだった。
夫にイラついた妻が、夜出かけたまさかの行き先とは…?
ー何よ、宏太ったら勝手なんだから。少しはこっちの身にもなってよ。
電話が切れてしばらくして宏太から届いたメールには、一言「遅くなるからご飯いらない」と書いてあった。
宏太がコンシェルジュに話したのかと、決めつけたような聞き方をしたのは悪かったと思うし、仕事が忙しいことくらいよく分かっている。
だけど、自身もフルタイムで仕事をしている中で、夕飯の準備もこなしている。急にいらなくなった時に、ごめんの一言くらいあってもいいのではと、奈月は思うのだ。
ーもう、今日はLサイズにしてやるんだから。
イライラをぶつけるように、奈月は家を出て、ファーストフード店へ向かう。どうしてもフライドポテトが食べたくなり、徒歩10分ほどの店へ向かうことにしたのだ。
奈月のマンションは国道沿いに建っている。そのため、駅の向こうの店までの道のりは、夜道と言えどとても明るく、安全だ。朝から夜まで車が途切れずうるさいのでは思われがちだが、高層階にはその騒音も関係ない。
ーテイクアウトして、うちで夜景を見ながら食べよっと。リビングから見る景色、綺麗だもんね。
電話が切れてしばらくして宏太から届いたメールには、一言「遅くなるからご飯いらない」と書いてあった。
宏太がコンシェルジュに話したのかと、決めつけたような聞き方をしたのは悪かったと思うし、仕事が忙しいことくらいよく分かっている。
だけど、自身もフルタイムで仕事をしている中で、夕飯の準備もこなしている。急にいらなくなった時に、ごめんの一言くらいあってもいいのではと、奈月は思うのだ。
ーもう、今日はLサイズにしてやるんだから。
イライラをぶつけるように、奈月は家を出て、ファーストフード店へ向かう。どうしてもフライドポテトが食べたくなり、徒歩10分ほどの店へ向かうことにしたのだ。
奈月のマンションは国道沿いに建っている。そのため、駅の向こうの店までの道のりは、夜道と言えどとても明るく、安全だ。朝から夜まで車が途切れずうるさいのでは思われがちだが、高層階にはその騒音も関係ない。
ーテイクアウトして、うちで夜景を見ながら食べよっと。リビングから見る景色、綺麗だもんね。
「奈月ちゃん!」
運よく揚げたてをゲットし、店を出た奈月は、突然の呼びかけに足を止めた。車道に停まった黒い車の窓から、永田が手を振っている。
「さっき、店に入るところを見かけてさ、前に言ってた手紙のこと、詳しく聞きたくて、待ってたんだ。」
車を降りて近づいてくる永田から目を逸らしながら、奈月はそっと小声で忠告した。
「あの、大声で話しかけないでくれません?…マンションの人、誰が見てるかわからないし。」
「その事なんだけど、過剰反応しすぎだと思うよ。他の住民から見たらただの世話焼きのおじさんと、新参者の奥さん。ただそれだけだよ。同じマンションの住民として見てくれたら、ありがたいけどな。」
ーそうだとしても、私が気にするの。どうしても、あの時の事を思い出してしまう。
7年前、自分が不倫をしていたと知った日の翌日。ホテルで眠れぬ夜を明かした奈月の元に、永田が現れた。
泣きながら激しく責め立てる奈月に、永田はボロボロになりながらひたすら謝った。そして「必ず離婚するから待っていてほしい」と頼み込んだのだ。
もちろん、奈月はすぐにそんな言葉は信じなかった。よく聞く男の陳腐な言い草だと、分かっていたからだ。
しかし、翌日も、その翌日も必死ですがってくる永田の姿を見ているうちに、奈月の心にも変化があった。
騙されていたことは許せないが、彼を未だに愛しているその気持ちは、偽りようがない。ある夜、一晩中考えた結果、”明日、彼の気持ちを受け入れよう”と決意したのだ。
しかしその後、奈月の元に、永田は二度と現れなかった。
数週間後、彼の代理人だという人から送られて来た書面には、奈月の年収を遥かに超える金額が記されており、それを慰謝料として払うと記載されていた。手切れ金のつもりなのか、口止め料のつもりなのか、彼の真意はわからない。
だがー。
奈月は、そのお金を受け取ったのだ。
そして数年後、そのお金は「株で儲けたお金」と偽られ、憧れのマンションの頭金へと化けたのだった。
「…ごめんなさい。普通のご近所さんとして接するのは、私には無理です。」
「わかった。…申し訳無かったね。」
車が去った後、奈月は冷めたポテトを手に、数百メートル先の我が家を眺める。
夜空に伸びる真っ白な塔はとても美しかったが、なかなか帰る気にはなれなかった。
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揺れる奈月の心に気づいたのか、夫の様子がおかしくなっていく…。
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