「超高齢化社会・少子化の日本はこれからどうやって食べていったらいいのだろう」「これから地方都市は次々と崩壊する?」――漠然とした将来への不安を抱える日本社会に対して、ルクセンブルクがモデルケースとしてヒントになるという。最新刊『世界まちかど地政学NEXT』を上梓した地域エコノミストの藻谷浩介氏が語る、世界の中の日本とその未来とは?
【写真】世界一の富裕国には見えないルクセンブルク大公国の町並み

地域エコノミストの藻谷浩介氏 ©深野未季/文藝春秋
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国民ひとりあたりのGDPが日本の2.6倍もあるルクセンブルク

――ルクセンブルクというと、ドイツ、フランス、ベルギーに囲まれた小国で、日本人からすると馴染みの薄い地域です。なぜこの国に注目しているのでしょうか?
藻谷 ルクセンブルク大公国は、佐賀県程度の広さで人口は60万人ほどの極小国ですが、国民ひとりあたりのGDP(国内総生産)は10万ドル超、つまり日本の2.6倍以上もある世界一の富裕国です。今から30年ほど前、私がまだ大学生の頃に訪れたときは鉄鋼業の国でした。普通なら、イギリスのバーミンガムのように鉄鋼中心の都市は凋落の一途をたどるはずが、いつの間にかルクセンブルクは金融で浮上した。いまや、ロンドンやフランクフルトに次ぐ、一大金融センターになっているんですね。
――なぜそんなことが可能になったんでしょうか。
藻谷 不思議ですよね。どこかの本に理由が書かれているのかもしれませんが、私は本の前に「現地を読む」という主義です。その場を自分で訪れて、「何があるか」、そしてそれ以上に「本来あるはずなのにないものは何か」を観察するのです。

ルクセンブルクの中心地になかったもの

藻谷 私は名探偵ホームズや怪盗ルパンのシリーズを多年愛読しているのですが、ホームズもルパンも、同じ方法で推理をします。警察が「現場に何があったか、何が落ちていたか」からシナリオを組み立てては失敗するのに対し、ホームズやルパンは、「そういうシナリオなら、他にあれも落ちているはずなのに、現場には見当たらない。なぜあるはずのものがないのか。とすれば本当のシナリオは何か」と考えるわけです。
 ということでルクセンブルクの中心を歩いてみたのですが、まず高層マンションがありません。富める都市はNYにしろシンガポールにしろ、あるいはお台場でも、街の中心に超高層マンションが林立して、その上でワインを飲みながら我々のような下々の者を見下ろしている人たちがいるものですが(笑)、ここはヨーロッパの古き良き田舎町という風情でスノッブ感ゼロ。美味しそうなレストランは少ないし、賑やかなお店は全然なくて、空き店舗が目立つほどです。しかも、都市の繁栄には必須のはずの交通のアクセスもすごく悪い。行きは近くのブリュッセルからは電車でも車でも3時間もかかり、帰りはLCCが飛んでないからこのご時世に正味2時間のフライト片道6万円もかかりました。そんな中でなぜ金融ハブとして成り立っているのだろうと。不思議ですよね。
――いわゆる富裕都市にあるものが「ない」わけですね。
藻谷 小奇麗な街を歩きながら、高級外車を見ないことにも気づきました。「俺は金持ちだぜ」って見せつけるような、“華麗なるギャツビー”や成金らしき人の姿もほとんどいない。表向きには、ごく普通の静かで上品な地域にしか見えないんです。居住者の45%は外国人で、特にポルトガル人の労働者が多いそうなのですが、単純労働者が作業しているのを見ないし、ホームレスも寝ていない。そうやって「不在」のものを洗い出していくと、「格差を最小化する」ことで金融業と社会秩序を成り立たせてきたこの国特有の知恵が見えてきます。

ルクセンブルクが世界一の富裕国になった仕組み

 ルクセンブルクの稼ぎ手は「放牧された金融業」です。金融という暴れ馬を、野放にしつつコントロールして、その「上がり」を取っている。小さな独立国なので、EUの規制の範囲内とはいえ、ロンドンやフランクフルトがなれないオフショア市場になれる、つまり規制を緩めて怪しい資金も含め大量のお金を呼び込んでいるのです。いわばドル圏のケイマン諸島みたいなポジション取りをユーロでやっている。スイスにもちょっと似ていますが、スイスは独自通貨なので、ユーロ圏のルクセンブルクの方がEUから資金を集めやすいという強みもあります。
 ちなみに日本もルクセンブルクに対し、2017年ですと6000億円ほどの第一次所得黒字(金利配当を得たことによる黒字)です。リスクの高いオフショア市場で大儲けしているルクセンブルクに、日本企業も投資してそれだけのおこぼれを得ているわけです。とはいえ、金融関係者は国民の1割もいません。彼らだけが葉巻をふかして外車にのって、高層マンションを建てまくればどうなるか? 目に見える格差が拡大して、社会秩序が崩壊しますよね。小国ほど互いの格差が見えやすいので、とくに配慮が必要です。
――格差を最小化する仕組みを意識的につくってきたということでしょうか。
藻谷 その通りです。帰国してから調べてみたら、格差の大小を示すジニ係数が小さい。移民層もそれなりの水準の所得を得ているんですね。移民が非常に多いのに貧困が表に見えない地域として代表的なのが、シンガポールとカナダとルクセンブルクでしょう。端的にいうと、シンガポールは他宗教排斥や人種差別の言論を封じることで、カナダは福祉国家として移民にも平等に教育機会を与えることで、そしてルクセンブルクは富裕層が富を見せつけない配慮によって、不満が生じにくくしています。それは最良のテロ対策にもなっていることは言うまでもありません。
 そんなルクセンブルク人は、歴史の経緯の中でフランス化したドイツ人です。日常語はドイツの方言、食べ物もドイツ料理ですが、たとえば法律用語はフランス語。文弱なフランスにも野暮なドイツにもなりきれないという国民意識は、第一次大戦を経て強まり、先の大戦でナチスに蹂躙されてからさらに高まった。でもフランスとドイツが喧嘩をするたびに、どちらかに侵略されてきた歴史があり、単独で安全保障は無理。ではどうしたかというと、ベルギーやオランダと手を結んで、EU形成の中核になるんですね。EUの中にフランスとドイツを収め仲良くさせることで、自国の独立を守り抜いたのです。

大国の狭間にあるルクセンブルクと極東の島国日本

――大国の狭間にあるという地政学的な位置を踏まえ、対応した戦略をとってきたわけですね。極東の島国日本にも参考になる部分が多そうです。
藻谷 そうなんです。小国といえど学ぶべき点がいくつもあります。第一に、製造業中心の堅実な国柄だったのに金融でも稼ぐ国へと変化したことです。得意分野を一つに決めつけないという姿勢は、日本の各県にも参考にしてもらいたい。
 第二に、非常に強い独立意識がありながら、自国中心主義をやめたこと。EU統合の核となり独仏を和解させることで、自国の安全と国外マーケットを確保した。じつは、周りの国が平和なほど国の経済が潤う構造は日本も同じです。われわれは何も武器を売って儲ける国じゃないのだから、たとえば中国やインドが戦争をしても何の得にもならないんです。数字は正直で、アジアが安定するほど日本の国際収支は改善します。2017年の日本の経常収支黒字は20兆円を超え、バブル期の倍以上なのです。一番のお得意様はアメリカで、日本が13兆円の黒字でしたが、2番目の中国(香港含む)からも、5兆3000億円も儲けさせて頂いた。3位の韓国からも2兆7000億円の黒字を稼いでいます。
――なんと、韓国がトップ3のお客様に入っているんですね。
藻谷 だから、もう少し大事にしたほうがいいんですよ(笑)。ちなみに台湾からは2兆円ぐらい、シンガポールからは1兆5000億円ぐらい稼いでいますが、黒字の稼ぎ手はハイテク部品や機械、金融、観光なので、もしアジアが紛争地帯になれば、こうした黒字は吹っ飛んでしまう。2018年の訪日外国人数は3000万人を超えましたが、4人に1人が中国人で、4人に1人が韓国人です。要するに半分は中国と韓国ですので、彼らの景気がいいほど日本も儲かります。とにかく周りが繁栄したほうが自分も儲かるというのが、日本とルクセンブルクの共通点です。自力では安全保障のできないルクセンブルクが独自の立場を保ちつつ周辺国の関係を平和へと仕向け、その中で世界1の豊かさを享受していることに、日本はもっと学ぶべきでしょう。
 ちなみにシンガポールはまさにルクセンブルクの真似をしていて、ASEANをつくり、その中心に入って、マレーシアとインドネシアを仲良くさせることで安全と経済的繁栄をつくり出しています。もっというと、インドネシアとマレーシアの富裕層にどんどん自国内に不動産投資をさせて家を買わせることによって、シンガポールが攻撃対象にならない構造をつくっているんですね。ルクセンブルクもヨーロッパ中の人が投資しているから、当然攻撃なんてされません。小国ほど国際関係における地政学的な勘が強く、国内格差にも十分に配慮して産業振興を進めているんですね。
――新著の中で、21世紀の地政学は、軍事力などのハードパワーではなく、経済力・文化力・民族意識などのソフトパワーのほうが大きな役割を果たすという指摘は新鮮でした。

ルクセンブルクになくて日本にはあるもの

藻谷 21世紀において、軍事力による物理的な占領って意味がありません。たとえばヒトラーみたいなのがもう一度出てきて、ルクセンブルクやシンガポールを占領しても何も得るものはない。そこにあるお金は逃げていくだけで、投資は呼び込めない。大戦後のヨーロッパが植民地を次々と手放したのは全然儲からなくて意味がなかったからです。そんなことより経済的に進出して投資だけしたほうが、住民の面倒みなくて済むので楽ですよ。
 日本は自前で安全保障ができないから主権国家じゃない、アメリカの植民地みたいな国だ、という声もありますが、「植民地」というわりには、アメリカから年間13兆円も黒字を稼いでいて、ずいぶん儲かっているわけです。つまり経済力のようなソフトパワーが、21世紀の国際社会ではとても重要です。中韓台星(星はシンガポール)の4国からだけで年に12兆円近くも黒字を稼いでいる日本が、そんな数字も確かめずに、自分の側から排外主義的なスタンスをとるようでは、「ソフトパワーの地政学」の時代に生き残れません。
 これまで世界105カ国をめぐってきて改めて思うのは、いま日本人の自己認識と世界から見たときの日本が激しくズレてきているということ。日本は「これから食べていけなくなる危機」にはないし、世界の中で「誇りを失っている国」でもない。世界中の観光客が日本に来たら、大喜びです。ニューヨークでいいホテルに泊まったって、日本のおもてなしやサービスに比べたら極めて劣るのが現実です。夜、東京の街を歩いたって、暗めの街路でも、落ち着いて静かで安全ですから。
 最後にひとつ。ルクセンブルクにはなくて日本にあるものはコンテンツ発信力です。ルクセンブルクは地形的にはちょっと金沢に似たところのある城塞都市で、中心街の規模も似ていますが、ルクセンブルクに兼六園や武家屋敷や茶屋街はありません。加賀料理もないし、「金沢21世紀美術館」もない。ルクセンブルク人が金沢を見たら「なんと多くの独自の文化コンテンツを持っている街だ」と思うでしょう。そもそも日本全体に、30個、40個のルクセンブルクがあってもおかしくない。そんなポテンシャルを日本の各地方都市は秘めてもいます。
 いま、日本のソフトパワーの等身大の実力はどれほどのものか、地政学を踏まえてどんな振る舞いをすることが日本の繁栄を呼び込むのか、本書が日本の自画像を認識し直すきっかけになれば嬉しく思います。

藻谷浩介(もたに・こうすけ)
1964年山口県生まれ。地域エコノミスト。㈱日本政策投資銀行参事役を経て、現在、㈱日本総合研究所調査部主席研究員。東京大学法学部卒業。米コロンビア大学経営大学院卒業。著書に『実測!ニッポンの地域力』『デフレの正体』『世界まちかど地政学』、共著に『里山資本主義』(NHK広島取材班)、『経済成長なき幸福国家論』(平田オリザ氏)、対談集『完本 しなやかな日本列島のつくりかた』などがある。

(「文春オンライン」編集部)