熊本県に10坪ほどの書店がある。場所は阿蘇山の中腹。扱うのは店主が「本物」と信じる児童書だけだ。書店の経営が難しい時代にあって、全国から注文が絶えず、今年で27年目を迎える。そんな「奇跡の書店」の物語を紹介しよう――。
竹とんぼの店内。決して広い店ではないが、厳選された本が丁寧に並べられている。(撮影=三宅玲子)

■自然豊かな阿蘇の地で、子どものための書店を営む

阿蘇外輪山の西に広がる俵山の中腹に、10坪ほどの小さな書店がある。「竹とんぼ」という児童書専門店だ。
店主の小宮楠緒(こみや・なお 74)は、トルストイの翻訳家北御門二郎(きたみかど・じろう 1913-2004)を父に持つ。北御門は熊本の山間部球磨郡水上村で農薬に頼らない農業を営みながら、トルストイの翻訳を一生の仕事とした。
北御門二郎の読者は、作品の魅力に加えて、世間的な価値や評価と距離をとり自然と向き合った生き方に憧れている。北御門の娘が自然豊かな阿蘇の地で子どものための書店を営むという選択は、北御門ファンにはよくわかる話である。
しかし、紙の本は不振だ。地方の個性ある書店でも閉店が相次いでいる。さらに阿蘇は熊本地震の打撃を受けた。店を知る人たちも、「あの店はもう閉じたに違いない」と思う人が多いかもしれない。
ところが、店を訪ねると、店は本の注文で大わらわだった。人口7000人に満たない阿蘇郡西原村の小さな書店は、5月の大型連休にもたくさんの来客を見込んでいるという。
小宮楠緒(右)と夫の小宮奎一。(撮影=三宅玲子)

■『家族に乾杯』の特需は一過性では終わらなかった

「あれからものすごくお客さんが増えたの。ほんとに助かった」
日なたの匂いがしそうな小宮の顔がくしゃくしゃになった。テレビ番組『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK)で全国に紹介されてから、売り上げは地震以前を超えるようになったのだという。テレビ特需は一過性に終わらず、団体客も訪れるようになった。電話やメールでの注文は途切れない。
「禍福はあざなえる縄のごとしって、言うでしょ? 大変なことが起きると、神様が見てくれているのかなって思うくらい、助けの手が訪れるの。そうやってこれまでやってこられたんだもの。続けられたのは奇跡としか思えない。奇跡の書店って言う人もいるんだから」
小宮はいたずらっ子のような顔をした。
だが、「竹とんぼ」の軌跡は、山の書店という牧歌的なイメージからは想像のつかない、精神的にも金銭的にも厳しく苦しい模索の日々だった。

■熊本に戻るまでは東京で出版社に勤めていた

9時半、店の奥のダイニングテーブルで小宮へのインタビューを始めようとしていると、恰幅のいい紳士が隣の部屋から現れた。夫の小宮奎一(こみや・けいいち 75)だ。
「ふたりで書店を始めて今年で38年になりますよ」
仕事に出かける前のひととき、奎一がそう言って楠緒の隣に腰をおろした。
店を構えたのは1981年。熊本市の水前寺公園にほど近い小さなテナントが振り出しだ。それまで、ふたりは東京で出版の仕事をしていた。夫は中堅学術系出版社の書籍営業、妻は大手出版社の校閲だった。
「竹とんぼ」の外観。(撮影=三宅玲子)
終戦2年前、東京都墨田区で大工の棟梁の家に生まれた奎一は、戦後の混乱期に困窮を体験し、社会の不平等に対し問題意識を持った。小5のときには貸本屋に通い詰めてディケンズの「二都物語」を立ち読みで読み通した。文学や思想、哲学など人生を問う本を愛したが、教育や実務に関する出版物を営業しなければならない。敏腕営業マンだったが、働きがいを見出せなくなっていった。
「本当のことを言えば、サラリーマンが楽なんです。毎月決まった額がいただけて、おまけにボーナスまでもらえる。出版社のお給料は悪くありませんし。でも、夫がつらそうなのはわかりました。だから熊本に帰って、本屋を始めようと」
楠緒がこう奎一の言葉を引き取った。

■「児童書だけの書店なんてもつはずがない」

子ども専門の本屋をと考えたのに、深い理由があったわけではない。子どもの本なら選べるだろうと思った、そのくらいの感覚だった。
「とにかく食べていかなくちゃならない。資金もスペースも限られてるんだから、これという特徴がなくちゃと思ったんです」(楠緒)
だが、子どもの本ならなんでもというわけにはいかない。ふたりは県立図書館に足を運び、児童書の棚を眺め、「自分たちの書店ではこの本を扱いたい」と思う本を選び、リストをつくり、出版社にかけあった。
書店経営はしょっぱなからつまずいた。出版社と書店の間には取次と呼ばれる問屋が介在する。取次を通さなければ本屋はできない。ところが、順調に進んでいた大手取次との契約交渉が、最後の詰めの段階で他店の横やりにより破談になった。
別の取次との交渉では「児童書だけの書店なんてもつはずがない」と強く言われ、「雑誌を取り扱うこと」という条件をのんでようやく開店にこぎ着けた。

■「本のことになると徹底して引かない人」

地方書店の売上の柱は学校や保育園、幼稚園などへの外商である。それを知ったふたりは、「こんな本を子どもたちに読んでほしい」と願ってつくったリストを持って、小学校を回り始めた。
通例では、教科書を納品する書店が学校図書の受注も引き受ける。教科書を取り扱わず取引の前例を持たない小さな書店を、学校の事務室は敬遠した。ところが、「あの書店から本を買えませんか?」と、事務室に相談をする教師がちらほらと現れた。教師の中に、「竹とんぼ」の選書を信頼する人がいたのだ。
困り果てた事務室は、教育委員会からの許可書を出してほしいと要望。「お墨付き」が欲しいというわけである。教育委員会を訪ねたふたりに、担当者はあっさり許可書を書いた。こうして外商が始まった。
書籍営業で腕のある奎一は、小学校や中学校、大学、あるいは保育園や幼稚園へと外商に出向き、徐々に数字をあげるようになる。それでも、書店の売上は厳しい。
「どの本を置くかで、この人とだいぶ激しくやり合いました。本のことになると徹底して引かない人ですから。僕はね、だいぶこの人に鍛えられましたよ」
店のまわりにはのどかな風景が広がる。(撮影=三宅玲子)

■「いい本だから売れるわけではない」

奎一が楠緒をチラリと見ると、楠緒が苦笑した。
「いい本だから売れるわけではありません。いい本なのに、知られていないために読まれないということの方がずっと多いんです。でも、売上のことを考えると、いい本よりも売れる本を並べることの方が大事なときもあると、夫は言うわけです」
児童書に真剣に向き合い選書する楠緒と、生活のために売り上げを守ろうとする奎一は、経営を巡って考えがぶつかり、家の中に嵐が吹き荒れた時期もあった。
「3人の息子たちにも心配をかけました。でも、あるとき高校生の次男に『おかあさん、おとうさんはおかあさんのことを愛してるんだよ』って言われたんです」
その言葉が忘れられないと楠緒がつぶやいたのは、外商に出かける奎一を見送ったあとである。

■山中に引っ越した理由は「安くて広い」だけだった

現在の阿蘇郡西原村に移転したのは1992年のことだ。引っ越した理由は、安くて広い。それだけだった。
熊本市内に比べると市場は小さいが、その頃には奎一が開拓した外商が売上の大半を支えるまでに伸びていた。西原村から熊本市内や周辺市町村へは車で1時間ほど。十分に通える場所だった。
数ある書店の中で「竹とんぼ」の外商が選ばれるのは、なぜだったのだろう。楠緒は奎一の仕事を「丁寧、早い、正確」と説明した。家族経営のこの店では規模の大きな書店のような分業ではないため、仕事の流れが短く速い。それが強みになったという。
もう立ち行かない、と思った局面は一度ならずあった。にもかかわらず、今もなお「竹とんぼ」が阿蘇の山の中腹にあり続ける理由は、楠緒が本を選ぶことについて勉強を繰り返した「厳しさ」にある。
楠緒が力を込めて振り返るのは、児童文学の翻訳家で絵本研究に携わる山本まつよ氏の勉強会での経験だ。同じテーマで描かれている絵本を比べながら、絵本での表現のあり方を徹底的に議論し、考えた。容易ではない時間の積み重ねは楠緒を鍛えた。

■「大切な人を失うこと」について2冊を読み比べる

「2冊の本を比べて読んでみましょうか」
楠緒は「大切な人を失うこと」をテーマに描かれた2冊の絵本をテーブルに並べた。1冊めは賢く仲間から慕われていたアナグマの死後、仲間たちがアナグマの不在を悲しみながらも、アナグマが遺してくれたやさしさや思い出に心がやすらぎ、生きていこうという思いを新たにするという物語だ。
楠緒は静かに淡々と読んでいく。抑制のきいた声を聞いているうちに温かい気持ちになった。
読み聞かせをする小宮楠緒。その言葉にどんどん引き込まれていく。(撮影=三宅玲子)
続けて2冊めが始まった。それは、家に紛れ込んだ赤ちゃんドラゴンをお世話する女の子が、ある日、成長して飛び立ったドラゴンを見送ったあと、喪失の痛みとかけがえのない思い出に涙を流すという物語だった。
人は誰かと出会い、豊かな時間を過ごし、いつか別れる。別れの悲しみは胸をえぐるが、耐えなくてはならない。ドラゴンと深い愛情でつながった後に訪れる別れは、人生の不条理を残酷なほどに浮き立たせる。
アナグマの物語も十分に魅力的な絵本なのだが、ドラゴンと少女の物語を聞いていると、喪失の痛みの記憶がよみがえり、心を揺さぶられる。ドラゴンは心の奥深くに差し込んでくるのだ。
「大人の心にも届く物語でしょう?」
まぶたを赤くした私に楠緒が言った。

■いい物語は心に沈殿物のようにたまっていく

この本を紹介したところ、なぜこんなに残酷なお話を薦めたのかと、ある父親から抗議の電話がかかってきたという。
「でもね、お子さんはどうですか? と尋ねると、『それが、子どもは読んでって何度もせがむんです』と言われるんですよ。子どもにはちゃんと伝わっているんです」
幼い頃に心に残る本との出会いを体験すると、その物語は子どもを支える力になる。なにより、子ども時代に読める本の量は限られている。たった1冊でも深く心に残る体験をすれば、子どもは本が好きになるだろう。
「本当にいい物語は、子どもの心の中に沈殿物のようにたまっていくでしょう? それは、子どもの生きる力、自分を肯定する力になるんです」
店の庭はきれいに手入れされていた。(撮影=三宅玲子)

■本に向き合う真剣さが、この店への信頼を育てた

本が売れない時代に、「売れる本」ではなく「本物と信じる本」を並べてきた。本に向き合う真剣さが、「竹とんぼ」の信頼を育てた。
熊本地震後は、通常は買い取りしか認めない老舗出版社が「竹とんぼ」を支援するべく返品に応じ、長く交流のあった大学教授は多額の寄付を申し出た。子どもの頃に「竹とんぼ」で本を買ってもらったという何組もの若者とその親たちが訪れた。
「星の王子さま」の翻訳で知られるフランス文学者内藤濯は熊本出身だ。熊本地震の折りに、内藤の孫が熊本県立図書館に本を寄贈したいと岩波書店に相談した際には、岩波書店が「竹とんぼ」を外商に指定するよう取りはからった。
さつまいも畑だった600坪に店を開いて27年、現在は奎一と40代の長男哲志、妻佳代が経営をになう。ゴールデンウィーク、阿蘇の小さな書店は、きっと小さな子どもたちで大賑わいするだろう。
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三宅 玲子(みやけ・れいこ)
ノンフィクションライター
1967年熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009~2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクト「BilionBeats」運営。
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(ノンフィクションライター 三宅 玲子 撮影=三宅玲子)