リッチになるとは、単にお金を稼ぐとかお金を貯めるといったことだけではありません。私が最も望ましいと考えているのは「自由」の獲得です。その自由とは一体何かというと、「物理的自由」と「精神的自由」とで構成されていると私は考えています。

自由なお金持ちになるための午堂流の生き方

「ニューリッチ」になるとは、単にお金を稼ぐとかお金を貯めるといったことだけではありません。

例えば、がむしゃらに働いて年収1000万円稼いでも、そのお金を使って人生を謳歌する時間がなければ、それは自分の人生を切り売りする、ただの労働装置に過ぎません。

また、どんなにお金持ちになっても、「減るんじゃないか」という恐怖心がつきまとうとすれば、それもまた不幸な生き方のように感じます。

つまり私が最も望ましいと考えているのは「自由」の獲得です。そしてその自由とは一体何かというと、「物理的自由」と「精神的自由」とで構成されていると私は考えています。

お金を多く稼ぐことで「選べる力」を獲得する

物理的自由とは、「複数の選択肢から選べること」を指します。

例えば、住む場所を選べれば、自然の多い場所や通勤に便利な都会、あるいは海外でも、自分の好みや都合に合わせて住むことができる。

買うものを選べれば、値段が高いから諦めるということもなく、どちらか迷ったら両方買うということもできる。

職業を選べれば、自分が最も快適で能力を発揮できる働き方ができる。取引先や友人などの付き合う人を選べれば、相性の合う心地よい人とだけ一緒にいられる。

スケジュールを選べれば、自分の1日は好きなようにコントロールできる。

これを実現する方法のひとつは、やはりより多くのお金を稼ぐことです。

十分なお金があれば、高い家賃でも払えるし、買いたいものを買える。転職して収入が下がり、一時的に無職になっても、しばらくは生きていける。合わない人と無理して付き合う必要はなく、結果として予定も自由に組める。

つまり、自由を得るためのひとつの方法は、お金を稼ぐ力を高めることです。

そしてもうひとつ、自由になるための大切な要素があります。それが後者の「精神的自由」です。

「物事の捉え方を制御する力」の獲得

これは「自分の感情が、他人からの影響や制約を受けないこと」を意味します。お金があっても、つねに他人の目を気にするならば、見栄のためにお金を使ったり、自分を大きく見せようと虚勢を張ったり、より疲れる人生まっしぐらです。

しかし、他人の存在や言動によって、怒りがこみ上げたり、不安になったり、みじめになったり、葛藤を起こしたりという、自分の感情を揺さぶられることがなければ、いつもさわやかな気分でいられます。

これを実現するには、「あらゆる状況や出来事に対してポジティブな捉え方ができる」という精神構造を持つこと、あるいはそのような精神構造に変えていくことです。

他人が何をしようと、他人が何を言おうと、「別にいいじゃん」「自分は自分」と捉えることができれば、ムカついたりイライラしたりすることもありません。多くの人が「つらい」と感じることを「平気」と認識できれば、過剰に不安やしんどさを感じることもありません。

いい人をやめて「ちょいワル」になる

物事の捉え方を制御する方法のひとつが「いい人をやめる」というものです。

いい人は、常に他人の目を意識して生きています。他人からどう思われるかが気になると、周りから嫌われたり評価が下がったりするのではないかと恐れ、本当の自分の感情や考えを主張できなくなります。

自分が何をしたいかではなく、どうすれば嫌われないか、変に思われないか、拒否されないか、好かれるか、それが優先される行動になってしまいます。

すると、周囲と摩擦を起こしてまでも自分の信念を貫くことができなくなります。人から「こう思われてはいけない」という縛りや、「こう思われるんじゃないだろうか」という不安から、周囲が驚くような大胆な決断や、非常識と思える行動を取ることができません。

だから成功しない。そこで、「ちょいワル」ぶる勇気を持つのです。

ちょいワルな人は、周囲との軋轢を恐れず、周囲に迷惑をかけてもひるまず、大胆な決断をし、自分の信念を貫くことが可能です。

例えば、コンビニの王者セブン‐イレブンも、鈴木敏文前会長が、周りの反対を押し切って始めた事業です。アップル創業者の故スティーブ・ジョブズも、わがままばかりを言って社内を振り回していたというのは有名な話です。

つまり、精神的自由を獲得し、成功への基盤をつくるひとつの素養は、いい人をやめて「ちょいワル」になることなのです。
(文:午堂 登紀雄(マネーガイド))