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再開発と分譲が進み、セレブタウンの代名詞である港区にも一軒家は少なくなってきた。それでもなお豪邸に暮らす本物の大金持ちは、マイホームへのこだわりと、街への愛情を人一倍持っている。

青山の地下に20mプールが

国道246号線沿いの南東に広がる港区・南青山には、「PRADA」など高級ブランドの路面店や一流レストランが立ち並ぶ。根津美術館や岡本太郎記念館もあり、まさに「ハイソ」を体現するようなエリアだが、その裏手に一際目を引く大豪邸が建っている。
敷地は約130坪、重厚な石造りの壁に囲まれた2階建ての邸宅は、通行人が中を覗くことはできず、高級マンションと見間違えるほどの大きさだ。迎賓館にあるような鉄門の横に小さく掲げられた表札を見て、ようやく個人宅だとわかる。
鉄門の奥には、家屋へ向かう10mほどのアプローチが続いている。両脇にはギリシャ彫刻のような石像や動物のオブジェが並べられていて、都心のど真ん中に神殿のような空間が広がっていることに驚く。
持ち主は浜野義郎さん(仮名・65歳)。たたき上げでパチンコ関連事業を軌道に乗せ、一代で豪邸を建てるほどの財を成した人物だ。
「けっこう大きな家でしょう?特にこだわっているのは中庭で、小さいながらも噴水と滝を置いてみたんです。晴れた日は妻とそこでお茶を飲むのがいちばんのリラックスタイム。庭を取り囲むようにして、紅葉や竹も植えています。
中を見られたら泥棒に入られて、荒らされること間違いなしだから、外観は一瞬マンションに見えるような、無機質なデザインにしてるんですよ」
2階のバルコニーにも庭園があり、あじさいやコスモスなど、四季折々の花が植えられている。都心のど真ん中で、シジュウカラやツグミなど風情ある鳴き声を出す小鳥が庭に集まる邸宅は浜野家だけだろう。
「実は地下室もあるんです。カラオケルームとガレージ、どちらもあまり使っていないですけどね。めずらしいと言えば、同じく地下に20mほどのプールがあるんですよ。
学生時代から泳ぐのが好きで、運動不足解消のために作っちゃいました。本当はもっと大きなプールにしようと思っていたんだけど、施工業者が発注を間違えて作ったことがわかって。プールのためだけに建て替えるわけにもいかないから、仕方なく使っています」(浜野さん)

誰よりも働いて買った

総工費は「10億円近くかかったかなぁ……」と言いながら笑う浜野さん。リビングは50畳、ベッドルームは30畳。リビングにしつらえてある象牙のテーブルはおよそ500万円、オランダ製のシャンデリアは世界にひとつしかないオーダーメイドの品物で、「値段は忘れちゃった(笑)」。
あまりのスケールにめまいがしてくるが、贅沢な生活に驕らず、ハツラツとしたセカンドライフを送るのが浜野さんの矜持だという。
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「お手伝いさんは雇わないことにしているんです。他人が家のものをいじくるのが嫌ということもあるんだけど、毎日2時間くらい妻と一緒に掃除していると、いい運動になりますしね。
どうやってこの家を建てたかと聞かれれば、休まずに誰よりも働いたから、というしかないですね。実家は裕福なほうではなくて、それが悔しくてとにかくガムシャラに働いた。ある企業の会長まで勤め上げて、いまはリタイアしています。
現役時代は働いてばかりいたから、少しでも家で過ごす時間を長くして、たくさんカミさん孝行をしないとね……」
無二の大邸宅だけでなく、日本各地のリゾート地にも200坪オーバーの物件を所有する浜野さん。あまりにも豪華な「終の棲家」を手にしながらも、さらなる「夢」を語った。
「ゆくゆくは、マンハッタンのセントラルパーク近くのマンションを1軒欲しいなと思っています。いま向こうでマンションを買うと、平均で2億円くらいすると聞いてるけど、もう少し安くなる時期が来るから、その時でしょうかね。
仕事でニューヨークに行って、マンハッタンに住む友人のパーティーに招かれたとき、窓から見える景色がとても素敵だったんです。
妻は日本が好きで、こんな家も建てちゃったから、向こうに永住しようとは思わないですけど、夢はあったほうが人生楽しいですから。
死んだらおカネは天国まで持って行けませんから、できるだけ使うようにしているんです。子どもにも孫にも資産はもう渡していて、私が死んだときに残ったおカネは全部寄付するつもりです。ぜひ、今後の社会のために活用して欲しいです」

虎ノ門の「ポツンと住宅街」

赤坂や六本木といった繁華街がひしめく港区に住むとなると、ある程度ビジネスで成功していたとしても、タワマンや高級賃貸などの集合住宅を選ぶことが多い。
だが、10億円単位の資産を持つ「本物」のお金持ちや、港区という地を心から愛している人にとっては、大枚をはたいて一国一城の主となることが、ひとつの誇りになっている。
南青山から東に4kmほど進むと、都内有数のオフィス街・虎ノ門にたどり着く。バブル期には金融機関がこぞって支店を構えた桜田通り周辺も再開発が進み、古いビルや商業施設が目下取り壊しの最中だ。
こんなオフィス街に住んでいる人がいるのかと思うかもしれないが、一本裏通りに入れば、豪奢な一軒家が取り残されたかのように肩を並べるエリアに突き当たる。
緩やかな坂を上り、高台になったあたりに、向かいに建っている3階建てのマンションにも引けを取らない大きさの邸宅がある。敷地はおよそ200坪ほど、曲線がかった外壁が印象的な3階建ての邸宅の主は、細野茂さん(仮名・77歳)である。
細野さんは都内で完全予約制の皮膚科を経営する開業医だ。レーザー治療がメインで、診察に出ずっぱりということで、細野さんの妻が港区に大豪邸を構える理由を明かしてくれた。
「夫のところに嫁いでこの場所に住んで、50年が過ぎました。それまではここから近い、神谷町駅の周辺に住んでいたんですけどね。
細野家は虎ノ門エリアに住んでから、夫の代で4代目になります。初代は宮内庁と取引があった米屋だったと聞いています」
神谷町駅周辺には「城山」と呼ばれ、スウェーデン大使館や城山トラストタワーが建つ地域がある。現在では地図から消えた地名だが、かつては豪族が城を構え、江戸時代には武家屋敷が並んだ由緒正しきエリアだ。
細野さんが住む地区も同様に歴史ある屋敷街だ。近頃の再開発でタワマン街や高層ビル群へと変化したが、細野さん宅のエリアはさながら「ポツンと住宅街」といった具合に残っている。
同じ土地に50年住み続ける細野さん夫妻は、虎ノ門が刻々と変わっていく様子を見届けてきた。
「当たり前ですけど、50年前と比べればまるっきり街の様子は違いますよ。最近でいえば、再開発ラッシュで虎ノ門ヒルズとかいろんなビルができて、我が家の2階から見えた東京タワーがすっかり隠れてしまったことでしょうか。
もともとは見晴らしのいい高台なのに、いかんせん周りは高層ビルだらけなものですから。
ここ数年、虎ノ門周辺はものすごい勢いで地価が上がっていて、我が家の東側、坂道の途中に建っている家では、立ち退きに応じた人も多いみたいですね」
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ただ、豪邸が並ぶ細野家の一角には、立ち退きの波は及ばなかった。なぜなのか。
「この地区の裏に宗教法人の大きな土地があり、まとめて整地すると膨大な土地を押さえなければならないとあって、大手も諦めたのかもしれません。
事実、昔からここに住んでいる近隣数軒では、立ち退きに応じるどころか交渉を持ちかけられた家すらないと聞きます。『ここは特別な土地なのかもね』なんて、お隣さんと冗談を言い合うくらいです。
港区というと夜の店が並ぶ繁華街のイメージがあるかもしれないですけど、このエリアはほんとうに治安も良くて、都心なのにゆったりと過ごせるのが住み続ける理由ですね。
これだけの敷地で、固定資産税は毎年100万円や200万円じゃきかないですけど、おカネの問題じゃない。4代住み続けた虎ノ門の土地から出たくないという思いもあります」
実際、港区の高級住宅街とされるエリアを歩いてみると、10年前まで大きな屋敷があった土地が分割されて小さな戸建てが建てられたり、マンションに生まれ変わっているケースが多くあった。
土地を手放す人が増えるにつれ、ケタ違いの一軒家にお目にかかれる機会も減ってくる。だからこそ、超一等地に大豪邸を持つことは、何物にも替えがたいステータスになるのだ。

3億円の土地を即決

高級住宅街の代表格である南麻布。有栖川宮記念公園の周辺には、清水建設の創業家当主・満昭氏の邸宅やイラン大使公邸など、財界人や要人の邸宅が建ち並んでいる。
都心でも特別な雰囲気が漂うエリアに、長年憧れ続ける人は多い。
サラリーマンから独立し、コンサルタントとして活躍する佐藤良太さん(仮名・51歳)は8年ほど前、70坪ほどの土地に念願の「南麻布ハウス」を建てた。
「憧れのマイホームですからね、そうとうこだわりました。夫婦そろってサウナが好きなので、サウナを特注で作ってもらったり、子どもがバスケットボールを始めたときには、屋上を丸々改装してバスケットコートを作ってみたりしました。
地代だけで3億円くらい、上物もいろいろ手を掛けたので2億円近くかかったと思います。でも、こういうことができるのは大きいマイホームがあるから。
『タワマンのほうが便利でカッコいい』と言う人は私の知り合いにもいますけど、自分の思いどおりに増改築できないですからね。やっぱり家を持つなら、一軒家のほうがいいです。
南麻布というと『大人の街』のイメージが私にもあって家を建てましたが、意外と子育てにぴったりな街なんです。大使館が多くセキュリティがしっかりしていて、交通の便もよいですから」
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地代と建物あわせて5億円はかかっている佐藤さんの大邸宅。普通のサラリーマンにはとうてい払える金額ではないが、佐藤さんは土地購入を「即決」したという。
「それまでは麻布界隈を賃貸で転々としていたんですけど、ずっと南麻布の土地を探していたんです。このあたりはめったに売りに出ることがないので、少しでもまとまった更地が出ると、不動産業者に情報が出る前に買い手が決まってしまう。
もう一生賃貸暮らしでもいいかな、と諦めた矢先に、『一件、売りが出ました』と業者から連絡があったんです。それでこの場所を観に来た瞬間、『買います!』と即決してしまいました。
ちょうどリーマンショックの後で、地価が下がっていたんです。今このあたりは一坪800万円くらいまで上がりましたが、当時は500万円しなかった。角地ですし、二度とないチャンスだと思って腹をくくりました」
佐藤さんが暮らす麻布と双璧をなす、港区の高級住宅街といえば高輪だ。桂坂には、『眠狂四郎』などで知られる歴史小説の大家・柴田錬三郎の私邸が残っている。
60坪程度の敷地に建つ2階建ての洋館風の邸宅で、外壁には蔦が絡まり、文豪の邸宅といった風情が色濃く残っている。
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交通は不便でもいい

柴田邸に出入りする関係者が、この一戸建ての来歴を教えてくれた。
「私は今の家に先生がご存命のころから出入りしていますが、竣工した当時から何も手を加えられていないと聞いています。
普通の方のお宅でしたら難しかったでしょうが、大先生のお宅ということで、ご一族がしっかりとメンテナンスされ、今も生活できる状態になっています。
ここ桂坂の一帯は、三井財閥の大番頭と呼ばれた朝吹常吉さん(元三越、帝国生命保険社長)の土地で、柴田先生の私邸はそれを買い取って建てられたものです。周辺にマンションは増えましたが、それでも樹木の多さは港区でも指折りだと思います。
高輪台駅から地下鉄に乗るときは傾斜のきつい桂坂を上がっていくのですが、これがけっこう大変。今度山手線に高輪ゲートウェイ駅ができるようですが、いまは最寄り駅がだいぶ遠く、交通に不便な立地です。
だから、このあたりの一軒家の住民は、便利とかどうとか考えず、ずっと昔からここで暮らしていることが当たり前と思っている人たちでしょう」
白金台から大通りを一本超えると上大崎、また高輪から南下すると北品川と、それぞれ品川区に到達する。港区と品川区の境目といえるこのエリアにも、都心有数のセレブタウンが点在する。
そのひとつが、上大崎の「長者丸」と呼ばれるエリアだ。南北朝時代からのお屋敷街である長者丸には、豪奢な邸宅が今も立ち並ぶ。
そのなかでも群を抜いて目を引くデザイナーズ住宅があった。地上3階建て、三角屋根には丸窓がついており、屋根裏部屋があることがうかがえる。
精密機器メーカーの創業者である持ち主の妻・的山久美子さん(仮名・63歳)が約140坪の大邸宅での暮らしを話してくれた。
「建物の設計は、長渕剛さんや北島三郎さんのお家も手掛けたデザイナーさんにお願いしました。その方を信頼して、本人のこだわりを詰め込んで設計してもらったのが気に入っているところです。
見学に来た時、土地代が予算をオーバーしていて、諦めようと別の土地を押さえていたんです。ところが地価が下がったので、地主が分譲して売り出す予定日の2日前に慌てて『やっぱり、まとめて買おう』と決めました。
押さえていた土地は違約金を払い、せっかく長者丸に住むのだからとデザイナーズ住宅を注文したら、予算オーバーどころの騒ぎではなくなってしまいましたけどね」
もともと三菱重工の役員が住んでいて、家主が亡くなったあと相続税対策として売りに出された土地だという。長者丸は三菱系の重役や、サッポロビールの創業家一族が暮らした街だと住民が教えてくれた。
「意外とご近所づきあいも盛んなんですよ。古くからの家が多いので、町内会活動が盛んで、住民の集まりもよくあります。みんな律儀に月1500円の町内会費を払っていますよ。
町内会長を務めているのは、渋沢栄一の子孫にあたる方ですね。渋沢家といえば、麻布のマダガスカル大使館に土地を貸しているのも渋沢家だったかと思います。
街の知名度は麻布や青山に及ばないかもしれませんが、歴史的にも長者丸エリアは日本一の住宅街だと思っています」

文化財に住むということ

長者丸と同じく、古くからの高級住宅街として知られるエリアが「御殿山」だ。高輪から大通りを一本超えると広がる御殿山はご存知のとおりソニー創業の地で、山手線沿いの「超都心」でありながら閑静な住宅街になっている。
この一角に、常緑樹に囲まれた3階建ての洋館風建築がある。敷地はおよそ80坪、高い外壁で中をうかがうことはできないが、誰が見ても歴史的建造物であることを疑わないであろうたたずまいだ。
国や東京都の保有地かと思い、玄関を見ると表札が掲げられている。人が住んでいるのだ。
住人は、物流関係企業の創業家で、現在社長を務める三浦敏さん(仮名・57歳)。この豪邸の正体は何なのか、三浦さんの妻が教えてくれた。
「この建物は1938年に建てられたもので、外装はほとんど当時のまま残しています。そして'53年から'57年までの3年あまり住んでいたのが、小説家の吉川英治さんです。
吉川さんが退去した後、主人の両親が縁あって、ここを引き継いだ。つまり夫の実家で、私は30年前結婚を機にここへ引っ越してきたんです」
80年以上のあいだ御殿山に建つ旧吉川英治邸は、国の登録有形文化財指定を受けている。まさに選ばれし者だけが住むことを許される邸宅だが、歴史的な建物ならではの悩みもある。
「文化財なので、建物に関しては固定資産税の優遇を受けていますが、土地には適用されません。額は私も正確に把握していませんが、毎年とにかく信じられない額の固定資産税を納めています。
外観は私もとても気に入っていますが、住宅としては使い勝手が悪く、両親の部屋以外はほとんどリフォームし、玄関と洋風の部屋は私たちで後付けしました。防寒、防風対策もまったくなかったので、冬場は厳しかったですね。
30年前に私が越してきたころ、このあたりは大きな家ばかりでした。ところが相続して大きな土地を売りに出してもまったく買い手がつかないようで、細かく分譲されて小さな家が増えていきました。
住民もかなり入れ替わっていて、近所づきあいも挨拶程度のものでしょうか。引っ越すことは考えていませんが、この家は文化財なので、そう簡単に切り売りできません」
人の住む家は、主のこだわりや悩みをそのまま映し出す。小さなマンションでも、都心の超豪邸でも、それは一緒なのかもしれない。
「週刊現代」2019年6月22日・29日合併号より