「しなければならない」ことをたくさんやっても、結局、他人の夢の実現に貢献させられたり、他人の目的達成の一部として利用されるだけになりかねません。だから、お金持ちを目指す人は、自分が「こうしたい」行動をしていく必要があります

金持ちになれる人と貧乏な人の時間の使い方の違い

雑誌やネットのニュースを見ると、経済格差・所得格差はますます拡大しているようで、「収入が低いから結婚も出産もできない」「年収200万円で生活が苦しい」という記事を時折見かけます。その違いは、ちょっと抽象的な表現ですが、「何を見ているか」「何を見ていないか」という違いではないかと考えています。それは、自分は将来「こうしたい」という方向性があるかどうかです。

たとえば専業主婦の節約ブログの中には、「お金を節約する」という支出の削減だけを見ていて、「収入を増やす」という側面は見ていないものがあります。しかし、収入の範囲内で生活することが目的になってしまうと、「賢いやりくり」しか考えられなくなる。もちろんそれも大事なことではありますが、もっと豊かな生活をするには、いかに収入を増やすかに着目しなければ、カリカリと慎ましい生活になりかねません。

これを時間の使い方という観点で言うと、「こうしたい」がなければ、生活のすべては「しなければならない」ことで埋め尽くされてしまい、仕事やタスクに追われるだけの日々になりかねないということです。

「しなければならない」ことは、「しなければあとで自分が困る」ことと同義ですが、これは基本的に他人に依存したタスクです。書類を提出しなければならない、メールの返事をしなければならない、携帯電話の料金を払わなければならない……。でないと、自分が怒られる、困る。

しかし、それをやってうれしいのは他人です。書類を受け取った人が喜ぶ、メールを受け取った人が喜ぶ、携帯料金を受け取った人が喜ぶ……。確かにこれはこれで必要なことではありますが、いくら「しなければならない」ことをたくさんやっても、それでは結局、他人の夢の実現に貢献させられたり、他人の目的達成の一部として利用されるだけになりかねません。

「しなければならないこと」から「したいこと」へ

だから、「こうしたい」をしていく必要があります。ただし「こうしたい」というのは、誰かが指示をくれるわけではないので、自分で考えて決めなければなりません。また、締め切りがあるわけでもなく、他人に迷惑をかけるわけでもないので、そこに強制力はありません。さらにやっかいなのは、「しなくても特に困らない」という側面を持っています。

たとえば私が始めた不動産投資。これは私が「経済的自由を得るために、不労所得を得たい」と考えて始めたものです。しかし、誰かが「不動産投資をやれ」と指示したわけではないし、「いつまでにしなければならない」というものもでもない。さらには、不動産投資は必需品でも何でもなく、私がしなくても誰も困らない。私が買わなかった物件は他人が買うだけです。

しかし、それでは私の生活が変わることはなかったでしょう。自由に好きなことだけをして稼ぐという生活も手に入らなかったでしょう。

つまり、自分の人生をよりバージョンアップさせるために必要なのは、「やらなくてもよいこと」「やらなくても困らないこと」を「しなければならない」ということであり、ここに気が付くかどうかが、抜きん出られる人とそうでない人とを分かつ、ひとつの要因となります。

あなたが価値のあることを成し遂げようと成し遂げなかろうと、時間は刻々と過ぎ、年を取っていく。あなたがやらなくても、誰も困らない。しかし、「しなければならない」ことを減らし、あるいは早々に終わらせ、毎日のタスクを「やりたいこと」で埋めていけば、人生は明らかに楽しく、深く、充実したものになるのではないでしょうか。

参考文献:『いつも時間に追われている人のための「超」時間術』(総合法令出版)
(文:午堂 登紀雄(マネーガイド))