「会社員よりも今のほうが圧倒的に楽しい」と彼女は語る(筆者撮影)

会社員一本、あるいは副業をしている人、結婚して家庭に入った人、夫婦共働きの人、事業を起こした人、フリーランスで活動している人など、人によってその働き方はさまざまだ。
一般的に30歳は節目の年と言われている。今の30歳は1987年、1988年生まれ。昭和生まれ最後の世代でもある。物心がついたときにはバブルが崩壊し、その後は長い不況にさらされる。就職活動を始める時期にはリーマンショックが起こり、なかなか内定が出ない人も多かった。また、「ゆとり世代」の走りでもある。
景気の良い時代を知らない現在の30歳は、お金に関してどんな価値観を抱いているのか。大成功をした著名な人ばかり注目されがちだが、等身大の人にこそ共感が集まる時代でもある。30歳とお金の向き合い方について洗い出す連載、第6回。

いじめられても、いじめっこの行く末なんて知れてる

「フリーランスという手もあったけど、なめられたくないなと思って法人にしました」
こう語るのはPR会社を設立して1カ月の友美さん(30歳、仮名)。ゆったりと巻いた茶髪の彼女は、バリキャリ女性の香りをムンムン放っている。友美さんは東北地方の片田舎出身。父親は大手企業のサラリーマン、母親は医療関係のパートをしており、妹と今は亡くなったが祖母と暮らしていた。
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「よく家族旅行に行っていたし、余裕がない家ではなかったとは思います。でも、なんでもかんでも買ってもらえるわけではなく、『テストで3番以内に入ったらゲーム買ってあげるよ』とか、ピアノや書道などの習い事もしていたので『地元の書道展で1等になったら買ってあげるよ』とか、モノにつられて勉強を頑張っていました。だから、成績はつねに上位でした」
両親のことをとても尊敬しているという友美さん。食事マナーや立ち振る舞いのしつけも厳しく、箸の持ち方がおかしかったり、電車内で大股を開いて座っている人を見かけたりすると違和感を抱く。
「小学生の頃にバレーボールをやっていたせいもあり、身長が高くて目立っていたのと、中学生のときに眉を整えてマスカラをつけて学校に行ったら先輩に目をつけられてしまい、すれ違い際に肩をぶつけられたりしました。でも、『これが噂の……』と思った程度だったし、そうやっていじめてきた人が後に不登校になったので、その人自身ちょっと病んでたんじゃないかな、と。そういう人って行く末が知れてるし、いじめは全然気にならなかったです」
中学校では吹奏楽部に入部しクラリネットを担当し、2年生が終わるころ部長になった。友美さんが入部した当初はパッとしなかったが、彼女が部長になってからは県大会で金賞を受賞するほどになった。
「高校は結局、推薦で行けたけど、もし推薦が取れなかったときのために勉強をもっとしたいと思い、塾に行きました。でもそれも、財務省のような存在である父を説得させなきゃいけない。うちは親から何かをしなさいと言われるのではなく自主提案。こういう目的があってこの高校に行きたい、そのためには何点取れるようにならないといけない、今の自分に足りないのはこの部分、受験は戦争だから勝つためにはこの能力が必要で、そのためにこの教科の授業を受けたい、と父に具体的にプレゼンして、塾の月謝を出してもらいました。このプレゼン能力は今の仕事にも活かせていると思います」

キャバクラで稼いだお金でカナダへ留学

高校も吹奏楽部が有名な高偏差値の進学校に入学。しかし、じゃんけんで負けて希望の楽器を担当できなかったのと、毎日の練習がキツすぎてすぐに部活はやめた。
アルバイト禁止の学校だったが、部活をやめてからはこっそりファストフード店でバイトを始めた。時給は680円ほどで、月に3万円ほど稼いだ。親からのお小遣いは必要なときにもらう形で、金額は決まっていなかった。
「髪にポテトのニオイがつくし、調理場は暑いし、なんで人の食べたものを片づけなきゃいけないんだって思って、お金を稼ぐのはこんなに大変なんだと痛感しました。でも、バイト代でCDを買ったり東京に出て服やアクセサリーを買ったり、彼氏とプリクラを撮ったりして遊ぶのがすごく楽しかったです。高校時代はとにかく彼氏とばっかり遊んでいて、彼氏が途切れたこともなかったです」
子どものころから海外に興味があり、中高とアメリカへ交換留学に行った。日本の大学に興味を持てなかったので、海外の大学に行きたいと思っていたが、まずは日本の大学を出てから海外に行ったほうがいいと親に助言を受け、東京の有名私立大学に進学した。
大学では毎月奨学金5万円、仕送り5万円で生活していたが、留学のお金を貯めるため、週3回キャバクラで働いた。いくら稼いだのか聞いても覚えていないという。しかし、普通の会社員の月給より高かったことだけは覚えている。
筆者が今まで取材した水商売や風俗で働く女性のうち、稼いでいる人の多くに共通しているのが、いくら稼いだのか具体的な金額を覚えていないという点だ。以前取材したセックスワーカーの女性は、日払いだからその日のうちに買い物で使ってしまう、知人の元キャバクラ嬢は外車を買えるくらいホストに貢いだと語っていた。まさに、水のように消えていくお金と言えそうだ。逆に、稼げないキャバクラ嬢や風俗嬢はしっかりと金額を覚えていることが多い。
友美さんも具体的な金額は覚えていないものの、貯めたお金でニューヨークやパリに旅行に行き、大学3年生のときカナダのモントリオールに留学した。
「モントリオールでは現地で口座を開設し、自分で部屋を借りました。勉強も頑張ったけど、パーティーに行って遊んでいました。絵に描いたようなパリピだったんじゃないかな(笑)。いろんな文化が混じり合っていて楽しかったです。でも、信頼していた子にカメラを盗まれたこともあって、陰と陽のオーラが混ざり合っているとも感じました」

海外で得た価値観が就活で不利になることも

1年間の留学を終えて帰国し、卒業するために単位の修得に必死になった。大学の近所に住まないと学校に通わなくなって単位が取れないと思い、家賃は9万円もしたが大学の近所にマンションを借りた。そして、同時に就活も始めた。夜はレストランでバイトもした。時給は1000円ほどだった。一度キャバクラで高収入を体験していると、時給1000円はバカらしくならないのだろうか。
「それが、カナダに行っていろんな価値観を得て帰ってきているので受け入れられました。細かいことを気にしても仕方ないなと。もともとのポジティブな性格に加えて、いい意味での楽観的な考えを持つようになって。それから、日本人って主張するのが下手だし、はっきりものを言うのはよくないとされているけど、そういうのも違うんじゃないかと思うようになりました」
しかし、その価値観が就活をするうえで合わないこともあった。とある役所のOB訪問をした際「君、絶対向いてないと思うよ」と言われ、不覚にも涙を流してしまった。海外から帰ってきたばかりの友美さんの態度が日本人の価値観からすると生意気に見えたようだ。
その後は商社と出版系に絞って就活をして、内定が出てインターンも経験したが、その内定を蹴ってしまった。そして、ライター募集の掲示板で見つけた編集プロダクションに応募をし、アシスタント業を始めた。そこの社長から某新聞社の内勤を紹介されて、大学卒業後の春から新聞社に非正規雇用で入社した。
「私は内勤だったからそんなにバリバリ働いていなかったけど、記者の人たちはカッコいいなと思いました。会社の給料は月20万円前後で、フリーでもライターをしていたので、その原稿料が月5万円くらい。年収にすると300万円ほど。当時は卒業した大学の近所である家賃9万円のマンションに住んでいたので、とても貧乏でした」

転職するなら起業しようぜ」とアドバイスされる

新聞社に1年10カ月勤め、正社員になりたくて老舗のPR会社に転職した。激務の月は1~2時間しか睡眠時間が取れない日もあった。基本給自体は安く、残業がない月は手取り20数万円だったが、残業が続く月は手取り40万円にもなった。年収は500万円ほど。PR職は天職だと思うほど向いていると感じた。5年半勤め、そろそろ転職したくなった。しかし、友美さんは転職ではなく起業している。
「ずっと憧れていた外資系企業のPR職の中途採用に応募したら、2次面接まで受かっちゃったんです。それで、次は最終面接だなぁと思ったとき、はたしてこれでいいのか?と思い始めてきて。そのタイミングで、知人の男性用化粧品メーカー社長と焼き肉を食べていたら『磯野、野球しようぜ!』というノリで『転職するなら起業しようぜ』と言われたのが、起業したきっかけです。『会社をつくることで、わからないことがあったら俺が教えてやる』って言ってもらえたのも後押しになりました。
彼がいなかったら起業に踏み切れてなかったと思います。感謝しかないですね。持つべきものは信頼できる友だな、と。東京には変な大人が本当にたくさんいるので、こういう縁は絶対大事にしないといけないと思っています」
転職のつもりが起業になった友美さん。取材時はまだ起業して1カ月しか経っていなかったが、今まで培ったコネクションとコミュニケーション能力を駆使し、すでに多くの案件を抱えていた。メインは化粧品やデンタルケア商品のPRだ。今、月にどのくらい稼いでいるのだろうか。
「それが、具体的にいくらとまだ言えないんです。最初はインフラを整えなきゃいけないからガンガンお金が飛んでいく。オフィスも借りました。法人の手続きがけっこう複雑で、(オンラインではなく)書類のやり取りが多くてめんどくさいです(笑)。そのへんもすべて自分でやっているので、お金の仕組み、税金とか、こんなふうになっていたんだと知ることができて面白いですけどね。
会社員時代より今のほうが圧倒的に楽しいです。生きるか死ぬかみたいな感じで。経営陣が勝手に決める賛同できない謎のポリシーとかに従う必要もないですしね(笑)。今、自宅の家賃は10万円台ですが、社宅にする手続きがやっと完了したところです。また、会社員をやめたタイミングで自動車教習所に通い、貯金と退職金を使って免許を取りました。
私、32歳でポルシェに乗るのが夢なんです。今、カーシェアリングで車を運転して練習しています。ポルシェ持ってるのに首都高を走れないとかカッコ悪いじゃないですか?(笑)」
そう豪快に笑う友美さん。目標は「日本一給料の高いPR会社にすること」だそうだ。まるで、バブルの再来を予感させるかのような勢いを感じたインタビューだった。