私が1億円を稼ぐ人を多く取材した中でのこぼれ話です。誰でも自分の意見を否定されたらくやしいし、意見を通したいという意地やプライドがありますが、あえて議論に負けておくことが必要な場面があります。それは、そのあとで大きな成果が刈り取れるという場合です。

年収300万円の人と年収1億円の人の違いとは

私は1億を稼ぐ人の取材を繰り返しましたので、その中でのこぼれ話を書いていきます。

誰でも自分の意見を否定されたらくやしいし、自分の意見を通したい。意地やプライドがありますが、あえて議論に負けておくことが必要な場面があります。それは、いったんは相手に同意する、相手の意見に従う、相手を持ち上げることで、あとで大きな成果が刈り取れるという場合です。

ただし、時に自分のプライドを捨てることにもなるため、年収300万円の人には難しいものです。つい感情的に反発し、議論して言い負かせようとする。しかし言い負かされた相手は当然おもしろくないから、次からも反対派に回ることになります。

勝ちたければまず敵を味方に引き入れる

たとえばどうしても通したい企画があり、役員会議で提案しました。その際、ある重役に批判されたのですが、彼はいつも否定ばかりするので有名な人です。

その時、「いや、これはですね……」と反論するより、「なるほど、その点は気がつきませんでした。鋭いご指摘、ありがとうございます」といって引きさがっておく判断もあります。

そのあと、「ご指摘いただいた点を解決すべく、こういうふうに考えてみたのですが、いかがでしょうか」と、その重役に相談に行くのです。

彼は自分の意見が尊重されていること、自分を頼ってきてくれることに満足し、喜んで助言をするでしょう。自分が関わっているから、次からは反対しにくい。むしろ賛成派に回る可能性が高くなります。

もちろん、すべてがそううまくいくとは限りませんが、勝ちたければまず敵を味方に引き入れることです。あえて反論して小さな議論で勝つことよりも、将来目的を達成できればいい。つまり、局地戦で負けても戦争に勝てばいいという考えです。

年収1億円の人は、上司や組織への配慮を忘れない

ほかにもこんな例があります。たとえばやる気にあふれた若手社員が、「それはおかしいと思います。わが社も○○すべきではないでしょうか」と上司に詰め寄る姿を目にすることがあります。

その若手社員にしてみれば、「正しいことを言ってるのに、なぜ上司は取り合ってくれないんだ」と不満をこぼすでしょう。しかしこれは、自分の可能性を摘む危険性があります。

言っていることは正しい。確かに正論でもある……。

しかし今まで先輩社員たちが長年努力してきた蓄積があれば、表立って否定をするのは、上司としてもやりにくい面があります。しがらみにとらわれてはいけないと言っても、組織である以上、やはり配慮は必要です。

それに、相当に重要な局面でもない限り、部下の立場から「○○すべき」と詰問に近い言い方をされるのは、上司としても、もちろん会社の上層部としてもおもしろくないものです。

そのため、正論を貫こうとする人は、組織の中では時として「うっとうしい」という評価になりやすいわけです。

年収1億円の人は、上司や組織への配慮を忘れません。「今のやり方もとても有効なのですが、一方でこういう問題も指摘されています。そこで、試験的にこういう方法をとってみてはどうかと思うのですが、いかがでしょうか」と、上司に判断を委ねることで花を持たせ、上司が関わったという意識を持たせるのです。

人生で成すべきことはもっとあります。自分の人生を10年スパンで見たら、今の瞬間の意地なんてゴミみたいに小さいはず。そんなことで、余計な敵をつくり、しょうもない人のしょうもない意見でつぶされるのはもったいないことです。

※参考「年収1億を稼ぐ人、年収300万で終わる人」(学研マーケティング)
(文:午堂 登紀雄(マネーガイド))